2018年10月  1.人々のただ中で
 貧しい人たち、軽んじられている人たち、声なき人たちのただ中で、神の望みを生きること、これは教皇フランシスコが最も大切にしていることです。それは、ベルゴリオ師が教皇に選出された後に「フランシスコ」を名乗られたことに象徴されています。教皇就任当時にイエズス会総長を務めていたアドルフォ・ニコラス師は「我々がいま知ることになった教皇の『フランシスコ』という名前は、貧しい人々への近さという福音的精神、素朴な人々との一体感、そして教会刷新への献身を想起させるものである」として、その「質素、謙虚さ、豊富な司牧経験と霊的深さ」を称賛したと報じられました。
 ベルゴリオ枢機卿は、新しい名前を神から与えられました。そして、新しい使命も授かりました。それは、アブラムが自分のすべてを神にささげて、新しい使命を生きようとした時に「アブラハム」という名前を授かったことと重なります。司祭ベルゴリオは、そして枢機卿ベルゴリオになってからも、人々のただ中で過ごしました。アパートに住み、地下鉄で通勤し、サン・ミヘルという小教区の教会で司牧していた時には、頻繁にそれぞれの家を訪ねて人々と交わりました。
 ベルゴリオが新しい名前としてフランシスコを授かった時の新しい使命は、その生き方が自分にだけではなく、神がすべての人に望まれていることだと、世界の隅々にまで伝えていくことです。今月の教皇の福音宣教の意向は、まずは奉献生活の道に召された兄弟姉妹が、率先して人々のただ中で生きるようにと勧めているのです。人々を真の自由と平等へ導く福音的な証しは、人々のただ中、特に貧しい人たち、軽んじられている人たち、声なき人たちのただ中で暮らし、ともに歩む中に示されていることを教皇は自ら体験しています。その恵みを、すべての人に伝える使命をいただいて、まずは奉献生活者にその輪を広げていくことを願っています。この生き方は、教皇が常に語る「インクルーシブ」、つまり誰一人として排除せず、すべての人を受け入れるという姿勢につながります。
 奉献生活者の一人として神に召された教皇フランシスコの使命を、すべての奉献生活に召された兄弟姉妹が心を合わせて生きることができるようにと、祈りをささげてまいりましょう。