2018年11月  3.アガペーの愛による平和
 聖書を書き記したギリシア語には、日本語の「愛」にあたることばが少なくとも4つ、それに近いことばを含めると7つあるとされていますが、聖書の日本語訳にあたってはそれが、すべて「愛」と訳されています。
 ギリシア語の愛には、まず「エロス・Eros」があります。性欲や性愛などにあらわれる本能の愛です。人類の誕生は450万年前とされる説がありますが、その先にさかのぼって進化の過程をたどっていくと、私たちの生命の連鎖は38億年から40億年の間続いてきたことになります。「エロス」の背景にある本能によって、命が伝承されていて、今の社会に生きる私たちも、「エロス」に向き合うことが求められます。本能ですから、すべての人に備わっているものです。しかもいのちの伝承に欠くことができない生殖行為には快楽が伴います。ですから制御しなければ、快楽だけを求めて堕落してしまう可能性も大いにあるのです。私たちは知恵を尽くして、霊性によってこの「エロス」を制御することが求められます。
 次に「フィリア・Philia」があります。これは「好き」とか「いとおしい」「かわいい」などの気持を伴う心情の愛です。自分にとって大切なものを愛し、いとおしむ愛です。第3の愛は、「ストルゲ・Storge」で親子の愛や兄弟愛にみられる家族の愛です。
 このほか「ルドゥス・Ludus」という遊びの愛や「プラグマ・Pragma」という実利的な愛、そして「フィラウティア・Philautia」とういう自己愛がギリシア語にはあります。
 ところで、エロスもフィリアもストルゲも、その愛を実践するために、これといった努力をする必要がありません。本能と自分の好みにうながされて行動するのですから、当然のことです。しかし、第4の愛である「アガペー・Agape」は、これらの3つの愛とは違って、その実践のためには自分を超える心、エゴを超越する心をもつ努力が必要となります。たとえ相手のことが好きでなくても、さらには敵であっとしても、相手の最善を願う行動をとることが求められるのです。イエスが説いた愛はこのアガペーでした。「汝(なんじ)の敵を愛せよ」と聞くと一見矛盾のように受けとめられますが、愛がアガペーならばさもありなんと思われるでしょう。
 教皇の意向のように、「愛と対話」によって平和への奉仕を志す私たちに求められるのは、このアガペーの愛です。瞑想や黙想、祈りによる深い神との交わりの中で、私たちがエゴを超越したアガペーの愛に導かれ、平和のために奉仕することができるようにと、ともに祈ってまいりましょう。