2018年11月  4.遺族が心の平安を取り戻すために
 愛する人との別れは、誰にとっても悲しいことです。ましてや、死に至ったわけが、事故死や自死、あるいは犯罪に巻きこまれたものであったとしたら、その事実を受けとめることはとても難しいことです。何が起きているかを心で受けとめることができずに、心がうつろになって、考える力も感じる力も奪われてしまうほどです。アメリカの心理学者の研究によれば、愛する人の死によるストレスは、日常の生活の中で受けるストレスの数百倍にもなるとされているほどです。
 私たちは、亡くなった人のために、葬送の儀式を営みます。宗教や習俗によって具体的な儀式やしきたりは異なりますが、葬儀にはおもに3つの要素があります。第一は遺体を衛生的に葬ることです。あらゆる生命体は、生命活動が維持されなくなったときから、腐敗が始まります。ですから、ドライアイスを当てたり、ときにはエンバーミングという遺体処理を行ったりして、腐敗の進行を遅らせる処置がとられます。そして、今日最も衛生的な手段である燃焼処置として、火葬を行うことになります。
 第2の要素は、その方が暮らしていた社会にその死を告げ知らせて、家族、友人知人が心を合わせてともに祈り、人間の力を遥かに超えた大いなるものに、その命(いのち)を委ねることです。その時、その方と生活を分かち合った人たちは、故人からいただいたすべてのことを思い起こして、まず感謝の気持ちをささげます。そして次に、故人に対して至らなかった点を思い起こして詫びます。最後に、私の、また私たちの、この世での営みを見守り導いてくださるように願います。「ありがとう」「ごめんなさい」「よろしくおねがいします」と祈りながら、この世でのお別れの時を持ちます。
 第3の要素は、愛する人を失った人々が、その死を心と体で受けとめて、心の平安を取り戻すことができるように、ともに歩むことです。まずは、死を受けとめることです。愛する人の遺体を見ることは辛く悲しいことですが、現実を受け入れることはとても重要なことです。そのために人々は長い歴史の中で湯潅や納棺の儀式を生み出してきました。遺体に直接触れながら身体を清めることで、冷たくなった肉体の感触を通して「死」を受けとめていくのです。辛いからといって葬送の過程でこの儀式を省略すると、心に平安を取り戻すことが難しくなることがあります。愛する人の突然の死に直面すると、かわいそうだからといって死の事実から遠ざけようとすることがありますが、むしろ辛くてもその死に直面することが大切になります。このように、葬送の儀式は、故人を大いなるものの手に委ねながら、愛する人を失った方が心の平安を取り戻すためのものなのです。
 日本の教会の11月の意向は、「世を去った人々とその遺族」です。「遺族に慰めがもたらされますように」心を合わせて祈りのときを過ごしてまいりましょう。