2019年8月  5.東アジアの安全保障
 日本の教会は平和旬間を通して、二度と戦争が起きないように、二度と核兵器が使用されないようにと祈りの輪を深めてきました。また今月の意向として、平和への決意を取り上げて、「特に東アジアの平和のために力を尽くすことができますように」と祈ってきました。そのような最中に、日本と隣国の韓国との間で結ばれていた軍事的連携のための軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を韓国が破棄する、という発表がなされました。
 核武装を試みて実験を繰り返してきた北朝鮮にどのような政治姿勢で対応するのかについての足並みが、このところ急激に乱れてきたことにその原因があるとの解説が主流となっています。韓国は、日本が第二次世界大戦前に朝鮮に対して行った様々な政治的軍事的な行為についての歴史認識の違いを鮮明にして、日本に対しての外交姿勢を硬化させています。そのことで、安全保障上の重要な協定の破棄にまで関係は悪化しています。北朝鮮を見据えた国際的な安全保障上、アメリカも大きな役割を担ってきました。しかし、トランプ大統領による首脳外交の行方が不明瞭な中、北朝鮮は短距離弾道ミサイルの発射実験を繰り返すようになりました。日米韓の連携が乱れる中で、米中間の貿易摩擦や日ロ間の北方領土問題が微妙に関連し合って、まさに東アジアの安全保障は、新しい局面を迎えようとしています。
 東アジアをめぐる別の火種は、香港にもあります。香港とマカオに与えている一定の自治権と国際参加を認める中国の「一国二制度」が、少しずつ中国の中央政府によって侵害されようとしていることに対して、香港の大多数の市民が反発しています。香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正問題で、まさに一触即発の危機が迫っているのです。
 このような東アジアの安全保障が外交関係のこじれから揺らいできている中で、私たち市民の一人ひとりは、どのように行動すればよいのでしょうか。いかなる場面で、何を主張すればよいのでしょうか。そして、平和を祈り願うキリスト者として、何をすることが求められているのでしょうか。まずは、様々な情報が飛び交う中で真実を見失わない賢明な判断が求められます。そして、その真実について、神はどのように感じ、何を私たちに求めているかを祈りの中で探し求めることでしょう。
 複雑な外交関係の渦の中にあっても、人々の平和を願う心はいつでも大きな力になります。平和を願う祈りの力によって、国家間のエゴのぶつかり合いが、和解へと導かれますように、祈りをささげてまいりましょう。