2019年11月 2.近東の平和 |
![]() ところが、政治が動くとき、その日常の平安が音をたてて崩れてしまいます。一人ひとりが隣人を人格として受け入れ、互いの存在を認め合って暮らしているのですが、政治的なイデオロギーや、その趣旨に便乗したりあるいは利用されたりする宗派・宗旨でグループ化されると、そこからは互いを人格的に承認する仕組みが失われてしまい、相違だけが取り上げられるようになり、しかも、いずれの宗派・宗旨も、自らが最も優れていると信じ、主張し始めます。個が見失われ、集団のエゴが幅を利かせるようになるのでしょう。 今月の教皇の意向は、「近東での対話と和解」です。対話は互いを知るために不可欠です。ですから、私たちは「聴き方」と「話し方」の両方を学ばなければなりません。そして、その前提には相手を人格として受け入れることも必要です。その枠を人と人との関係から、グループ間の関係にも発展させなければなりません。 相手を許すことは容易なことではありません。誰でも、自分のほうがより正しいと思いがちだからです。一方で、完全な人は一人もいません。自分も不完全なのです。「許す」という営みは、自分の不完全さを自覚することから始まります。そして、この「許す」という営みこそが、和解への道、平和への道の糸口なのです。 今週は、近東の平和に思いを致し、不完全さを自覚しながら、人を許すことに心を向けて歩むことにいたしましょう。 |