2019年11月  2.近東の平和
 近東は宗教の坩堝(るつぼ)です。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地がこの地域に集中し、人々が祈りのために集うシナゴーグ、モスク、教会が隣り合うようにして点在しています。その環境の中で、一人ひとりが自分の信仰の道を整えて、平和で安全な生活を願って日々を過ごしています。たとえ宗教が異なっていたとしても、人々の間には対立も諍(いさか)いも起こらずに、日常の平安が保たれています。
 ところが、政治が動くとき、その日常の平安が音をたてて崩れてしまいます。一人ひとりが隣人を人格として受け入れ、互いの存在を認め合って暮らしているのですが、政治的なイデオロギーや、その趣旨に便乗したりあるいは利用されたりする宗派・宗旨でグループ化されると、そこからは互いを人格的に承認する仕組みが失われてしまい、相違だけが取り上げられるようになり、しかも、いずれの宗派・宗旨も、自らが最も優れていると信じ、主張し始めます。個が見失われ、集団のエゴが幅を利かせるようになるのでしょう。
 今月の教皇の意向は、「近東での対話と和解」です。対話は互いを知るために不可欠です。ですから、私たちは「聴き方」と「話し方」の両方を学ばなければなりません。そして、その前提には相手を人格として受け入れることも必要です。その枠を人と人との関係から、グループ間の関係にも発展させなければなりません。
 相手を許すことは容易なことではありません。誰でも、自分のほうがより正しいと思いがちだからです。一方で、完全な人は一人もいません。自分も不完全なのです。「許す」という営みは、自分の不完全さを自覚することから始まります。そして、この「許す」という営みこそが、和解への道、平和への道の糸口なのです。
 今週は、近東の平和に思いを致し、不完全さを自覚しながら、人を許すことに心を向けて歩むことにいたしましょう。