2019年11月  3.永遠のやすらぎ
 キリスト教では、イエスの死と復活によって、私たち一人ひとりに永遠のいのちが約束されていることを、信仰の礎においています。信仰を宣言する「使徒信条」も最後の一文は「永遠のいのちを信じます」です。
 ところで「永遠」の意味をどのように捉えたらよいでしょうか。しばしば「永遠」も「永久」も「いつまでも限りなく続く、無限の時の流れの果て」を表す言葉として用いられますが、「永遠」には、さらに時という概念を超えた次元、つまり私たちの住むこの地上の世界とはまったく異なる、想像を超えた世界を指す場合にも用いられるとされています。
 このことから、私たちの信仰では、死の門をくぐると、いつまでも続くいのちをいただくのではなく、時のない、まったく別の世界に生まれ出でていくこととして理解されます。年齢もありません。成長も老化もありません。時の流れにかかわるすべての事柄から解放されて、ただただ一人の人格(ペルソナ)がその世界に生まれ出でていくと、捉えることができるでしょう。キリスト教では、この時のない永遠の世界を「天国」と表しています。
 また、使徒信条には、「聖徒の交わり」という言葉があります。地上で時が支配する世界に生きている私たちと、地上の生活を終えて天国で過ごしている私たちの祖父母、父母、親戚、友人知人はもとより、すべての人との交わりの中で、相互愛で結ばれていると、理解してよいでしょう。
 永遠は、時間を超えた世界を示しています。おそらく天国は、時間とともに空間も超えた世界なのでしょう。死者は、時を超え、空間を超えて、私たちの心に愛の心をもって関わってくださるからです。今週は、死者の「永遠のやすらぎ」を祈るとともに、永遠の世界で過ごす方々の支えを祈り願いながら過ごしてまいりましょう。