2019年12月  2.神の愛に気づく
 日本の教会は、「孤独の中にある人」が神に愛されていることに気づくようにと祈ることを、私たちに投げかけています。そこで、神の愛に気づくには、どのようにすればよいのか、思い巡らしてみました。
 私たちの神は、すべての人に、いつでもどのような状況の中でも、いつくしみの心で恵みを注がれています。しかも、私たちの心を神に向けることで、神はそれまでの罪をすべてゆるし、あるがままの姿を受け入れてくださっています。ところが、私たちの心が固くなってしまっていて、いつくしみ深い恵みに気づくことができないままでいることが、実に多いのです。
 気づくか、気づかないままでいるか、この違いの根本には、私たち人間の側の責任はないと考えるべきでしょう。なぜなら、気づかせてくださるのも、神の業であり、神の恩寵に他ならないからです。よい行いをしたから気づくわけでもなく、悪い行いをしたから気づかせていただけないわけでもありません。気づきを与えてくださるは、神なのです。
 では、私たち人間の側には、なすすべがないのでしょうか。まずは、心の姿勢をいつも整えておくことです。心が騒がしいと、自分の気持ちがどのような状況であるかを感じ取る余裕がありません。ゆったりと落ち着いて静かに自分自身と対話することが肝要です。信仰のある人は、自らに語りかけると同時に神に語りかけ、神からの呼びかけを感じ取ることも大切です。
 次に大切なことは、時々立ち止まって、過ぎ去った時間を振り返り、心に残っていることを味わい直す習慣を身につけることでしょう。忙しさの中で、ただただ前に進む生活が繰り返されると、自分自身の立ち位置が見えなくなって、心が動かなくなってしまうからです。信仰のある人は、「きょうをささげる」で奨められている、一日を終えるときに、その日に出会った人々と神に「ありがとう」、「ごめんなさい」、「よろしくおねがいします」と心の中で語りかける習慣を身につけるとよいでしょう。
 立ち止まって味わいなおし、その時に心の動きを振り返ることは、「気づき」のためにとても役立ちますが、もし、振り返ったことを親しい誰かに話すことができれば、「気づき」がさらに深まると言われています。心の中の感覚を、誰かに語ることによって「言葉化」されるからです。また、振り返ったことを聴いてくれた人が、「どんな感じだった」などと質問してくれると、さらに気づきが明確になります。
 このように、神の恩寵に敏感になり、その中に込められた神の愛に気づくことを、この一週間心がけて過ごしてまいりましょう。