2020年1月  4.いのちの尊厳
 北半球では一年の中でいちばん寒い時期となりました。自然災害、内戦による家屋の倒壊、生きるために居住地を離れざるを得なくなって難民となったなどなど、さまざまな理由から、暖かく安全な居住環境を確保できない方々にとっては、暖かい春の訪れがどれほど待ち遠しいことでしょうか。
 ところで、日本の教会は今月の意向に「いのちを守る」を掲げ、「すべてのいのちが大切にされる世界を作るために力を尽くすこと」を心に留めて生活するように奨めています。そして、「いのちの尊厳を奪われ、傷ついている兄弟姉妹の痛みを見過ごすことなく」と、いのちが守られていない現実に気づくための視点も提供しています。
 倫理学や宗教においては、生命やいのちには全体性があり、神聖でそれ自体に価値があるとされています。したがって、いのちの尊厳は、不可侵性なもの、つまり人間がその領域に手を加えてはいけないものという思潮や生き方として理解されています。そして、生命現象は人間だけに留まらず、すべての動物や、草木などの植物などにもみられることから、あらゆる生命を傷つけてはならないという、東洋思想(ヒンドゥー、仏教、ジャイナなどの教え)の非暴力の思想と通底するものがあります。
 思い起こされることは、教皇フランシスコの来日の時、日本の死刑制度に言及し、その廃止を説かれました。いかなる理由があろうとも、人間の手で人間のいのちを奪ってはならないという教えからすれば、死刑は認めることができない懲罰なのです。もう一つ人間の手で行われる合法的な殺人があり、それは戦争という愚かな営みの中にあります。戦場で相手の兵士のいのちを殺(あや)めても、犯罪として問われることはありません。兵士ではない市民を殺害することは国際法上認められてはいませんが、兵士同士は敵味方でいのちを奪い合うという戦場での悲劇は正当化されてしまうのです。人を殺めることで、平和は実現されません。
 生活の質や、基本的な権利に関しての人間の尊厳という視点を超えた、神聖で不可侵な「いのち」の尊厳について思いをいたしながら、この一週間を過ごしてまいりましょう。