2020年4月  1.依存症とは
 今月の教皇の意向は、依存症からの解放です。私たち一人ひとりが、依存症に苦しんでいる人々に寄り添い、支援していくことが望まれています。その依存症とは何か、しっかりと理解をすることは、出発点として大切なことです。そもそもは医学用語なのですが、日本では、厚生労働省が分かりやすくそれを説明しています。依存症とは、「特定の物質や行為・過程に対して、やめたくてもやめられない、ほどほどにできない状態を、いわゆる依存症といいます。」としています。そして、「一般的なイメージでは、“本人の心が弱いから”依存症になったのだ、と思われがちですが、依存症の発症は、ドーパミンという脳内にある快楽物質が重要な役割を担っています。アルコールや薬物、ギャンブルなどの物質や行動によって快楽が得られます。そして、物質や行動が、繰り返されるうちに脳がその刺激に慣れてしまい、より強い刺激を求めるようになります。その結果、物質や行動が、コントロールできなくなってしまう病気なのです。」とも述べています。
 私たちの身近に、もしギャンブルに明け暮れたり、アルコール浸りになってしまったりした人がいるとすれば、まず私たちは、「だらしないから」「怠け者だから」「意志が弱いから」などと本人の性格や生活態度に欠陥があるとして、その人を責めてしまいがちです。しかし、厚生労働省の説明でも明らかなように、これは「病気なのです」。ですから、それなりの治療が必要であり、治療に向かうにあたって、私たちの寄り添いと支援が求められるのでしょう。
 ここで、厄介な問題があります。依存症は「否認の病気」とも言われており、「自ら問題を認めない」ため、本人が病気と認識することは困難なのです。家族や周囲の人が困ったり苦しんだりしていても、その源が病気なのですから、医療機関につなげることができなければ、解決の道はありません。本人を病院に連れていくことが肝要なのですが、それがとても難しいのです。
 依存症ではないかと疑ったら、まずは保健所に相談することが勧められています。皆で協力し合って、しっかりとした医学的な治療が受けられるように、寄り添いと支援を進めてまいりましょう。
 新型コロナウイルス感染症が世界的規模で拡がっています。人類にとっての新しい脅威となった、目に見えないウイルスとの戦いに、英知を結集して立ち向かうことができるように、ともに祈りましょう。3月25日の神のお告げの祭日には、教皇フランシスコの呼びかけで、全世界のカトリック信徒が同じ時間に主の祈りをささげました。13億人ともいわれる私たちの兄弟姉妹の祈りの力によって、最前線でこの感染症と闘っている方々、罹患して苦しんでいる方々、そしていのちを奪われてしまった方々に、神の恵みとあわれみが注がれますように。