2020年5月  5.神の望みを聴く
 今月は、「召命」の意向にそって、「若者たちが喜びを分かち合うことの中に、人生の意味を見いだすことができるように」と祈ってまいりました。その祈りの中で、神が私たちの祈りを聴き入れてくださるよう願い、また神が私たちに何を願っているのかを聴き取ろうと、神との対話に心がけてきました。
 祈りは、神との対話です。私の側から神に語りかける行いと、神が私に語りかけてくださることを心の耳で聴き取ることで、祈りは完結すると言われています。もちろん、神を見た者はいません。神の声を耳の鼓膜の振動を経て、ことばとして聴くことができた者もいません。神の姿を見るとすれば心の目で、神の声を聴くとすれば心の耳で、それを行うことになります。
 神の望みを聴くことができるようにするために、どのような点が大切なのでしょうか。それは、心の耳を研ぎ済ませて、神のメッセージを敏感に受けとめることができるように、心と体を整えておくほかにありません。まず心がけたいのは、沈黙です。神は沈黙の中に語られます。誰とも対話せずに、できれば音楽や波の音などの効果音もないほうがよいでしょう。まわりで人の声がしたり、騒音が聞こえたりするときは何か集中できる音源が役にたつことがありますが、様々な音の中から一つを聴き分けて集中する訓練をすれば、それは必要なくなります。このような物理的な沈黙はもちろん大切ですが、それよりも心の沈黙のほうがより重要です。心が騒ぐ、という状態から、心を静めていくのです。心配事や気になること、これからの予定や計画、家族のことなどなど、心の中には次々と思いがわいてきて、騒がしい状態になってしまうことを避けたいのです。
 心の沈黙のためには、次のことを心がけるとよいでしょう。まず姿勢を意識し、腰骨を立てて、軽く目を閉じて、ゆっくりと深い呼吸をして、いただいているいのちを感じます。そして、神との交わりの時をもつことを意識し、今のこの場所での祈りの一時を祝福しくださるようにと祈り、祈りの導入とします。
 祈りの中では、自分のありのままの思いを神に伝え、あわれみを願います。そして、「神よ、僕(しもべ)は聴いています。どうぞお話しください」という姿勢で、柔らかい心をもって神からのメッセージを受けとめることができるように願います。
 いつもうまくいくわけではありません。沈黙の間に、何も心が動かないこともあります。でも、ざわめきや喜びの小さな心の動きをキャッチして、その中に示されたメッセージをあたため、膨らませていくと、神が私に何を望んでおられるか、私に対する神の望みを聴くことができるようになるでしょう。
 聖母月を閉じるにあたって、神の望みを聴くことができるように、聖母マリアの取り次ぎを願いながら、この一週間を過ごしてまいりましょう。