2020年9月  3.分配的正義
 今月は、教皇の意向で「地球資源の尊重」が掲げられ、また日本の教会の意向で「すべての被造物の尊重」が掲げられて、私たちのかけがえのない緑の惑星である地球をいたわるように祈りながら、コロナ禍の日々が重ねられています。祈りは大きな力になります。世界の人々と心を重ねて祈り、パンデミックの終焉に何とかこぎつけたいものです。
 さて、教皇の意向の中に、「正しくふさわしい方法で配分」という表現があります。神が私たちに望む生き方は、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと(ミカ6・8)」ですから、教会で大切にしている教え(社会教説)の中心は、いつも正義の促進におかれています。中でも特に、分配的正義、つまりどのような方法で公平に分かち合うのかについて、常に心を配るようにと説いています。
 分配的正義は、あまりなじみのない用語ですが、英語ではディストリブーティブ・ジャスティス(distributive justice)と表現され、資本主義経済のもつ矛盾を税や社会保障の制度によって解決する理論的裏付けとして位置づけられます。その背景には、使徒言行録に描かれた使徒たちの生活で、「おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った(使徒言行録2・45)」と表現される共同体の姿があります。さらに、神が望む分配的正義は、一人ひとりが均等になるように分かち合うのではなく、必要に応じて分かち合うことに特徴があります。分かち合うものを得るための貢献度に応じて分配することが公正だと考えがちな私たちの理解を超えて、何も貢献しなかったけれど、いのちのためにそれが必要ならば、その人に優先的に分配するという、神の思いなのでしょう。ぶどう園で朝から働いた人にも、夕方から働いた人にも、同じ賃金を払うという発想と重なります。
 地球の資源は限られています。ですから、持続可能(サステイナブル)な発展のためには、節度をもってそれを使うことが求められます。となると、誰がどのような権利を背景としてその資源を用いることができるかが、大きな課題になります。「正しくふさわしい方法」を見いだすことは容易ではありません。限られた資源をふさわしい方法で分かち合うための知恵に気づくことができるように、心を合わせて祈りのときを過ごしてまいりましょう。