2020年12月  1.祈りは双方向
 典礼の暦も待降節に入りました。その中で、新型コロナウイルスの感染症の第3波の襲来によって、たくさんの人が生命を落とし、医療現場で働く人々には不安と疲労が重なり、私たちは極めて深刻な事態に直面しています。コロナ禍が一日も早く終息するように、日々祈りをささげてまいりましょう。
 教皇は、今年を締めくくるにあたって「祈りの生活」を意向として掲げ、私たちがイエスとパーソナルなかかわりを持つことができるように、みことばに触れ、祈りの生活を実践するようにと奨めています。そこで、祈りの基本について、ここで確認しておくことに致しましょう。
 聖アウグスチヌスは「祈りは魂の呼吸である」と述べています。私たちは、昼も夜も、この世に生まれ出でてからずっと、呼吸を続けています。それと同じように、私たちは絶えず祈っているのです。呼吸が止まると身体が死んでしまうように、祈りが止まると心は死んでしまうのです。
 祈りは、自分の心を相手の心に重ねて、その思いを伝えるという、人間にとってきわめて自然な営みなのです。親しい人に宛てて書いた手紙を閉じるにあたって、「・・・お祈り申しあげます」と書き添えるのは、手紙を受け取る相手の心に、その時の自分の心を重ねて思いを伝えることなのでしょう。
 心を重ねる相手は、人間だけではありません。この宇宙、地球の大自然を創造された神のみ心に私の心を重ね、私の思いを伝える営みこそ、祈りの本質だと言えるかもしれません。そして、神に願い求める祈りの心に、神は必ず応えてくださると、私たちは信じているのです。
 キリスト教の伝統の中で培われた「レクチオ・ディヴィナ」という、みことばを素材に祈る際の道筋があります。まず、みことばを読むという第1の「レクチオ(読む)」、次に、そのみことばについて思い巡らす第2の「メディタチオ(黙想する)」、そして第3の「オラチオ(祈る)」では自分の思いを神に伝えて祈り、第4の「コンテンプラチオ(観想する)」では「僕(しもべ)は聞いています。どうぞお話しください」という姿勢で神からのメッセージを待ちます。
 祈りはこちら側から神に語りかけるだけではなく、神がその祈願に応えて私たちの心に何かしらのメッセージを送ってくださる、双方向の営みなのです。カトリック教会の公式文書では「このレクチオ・ディヴィナの方法で祈ることを通じて、生きた神のことばであるキリストと出会うことを可能にします」と述べられています。祈りをささげる際に、こちらの願いや思いを神に伝えるだけでなく、神が私に何を伝えようと、何に気づかせようとなさっているのか、といった観点から、一方通行ではない、双方向の対話を心掛けてみてはいかがでしょうか。
 主のご降誕を待ち望みながら、神からのメッセージに敏感になることができるように心がけて、日々を過ごしてまいりましょう。