2021年2月  2.暴力の芽
 人はなぜ、自己の主張や願望を貫き、それを実現する手段として暴力を行使するのでしょうか。暴力の行使をどのようにして抑止することができるでしょうか。
 暴力は、この世界で生きているすべての動物の、自らのいのちを守るため、子孫を繁栄させるために必要不可欠な行動に起因しています。捕食者や外敵からの防御のため、群れの序列を保つため、雌をめぐる雄の性淘汰のために暴力が起きます。動物行動学の立場では、進化の産物としてこのような暴力が備えられてきたと考えられています。
 動物の中にあって、私たち人類には、自分のいのちだけではなく、互いにいのちを大切にして共存していくための知恵として、理性が授けられています。しかし同時に、人間のからだには現実の世界に働きかける能力も備わっていて、これが他者の意志に対して強制的に加えられて暴力となってあらわれることも否めません。その結果、殺人、傷害、虐待、破壊などが現実に起きてしまうのです。心理学の立場では、その発生のメカニズムをもう少し丁寧に解明しようとしていて、抑圧された弱者が強者に対して抱く、憤り、怨恨、憎悪、非難の感情の発露としての暴力も考察されています。さらには、「死にたい」という気持ちを湧き起こす衝動が、他者に向けての暴力となることも、研究されてきました。
 残念ながら、今日の社会では、正当な権力の行使のためには暴力もゆるされるといった考えが一般的に承認されている現実もあり、国家間の軍事力の行使がその最たるものです。また、死刑執行など国家権力が行使する暴力も、国家権力に対抗するための暴力も頻繁に起きています。財産を奪うための暴力も、古今東西変わることがありません。
 このように、暴力は人間の本性にかかわる事柄ですし、その行使が社会的に是認されている側面もありますから、暴力のない正義と平和に満ちた社会を実現するためには、理性をもって制御しなければなりません。まず、私たち一人ひとりがいのちをいただいて生きていることを味わい、喜びのうちにその恵みを受けとめることが出発点となるでしょう。そしてその喜びを分かち合うことで、理性の芽が吹き出てくるのでしょう。ともに生きるためには、暴力が最も大きな妨げになることを、経験の中で積み重ねていくことができれば、理性はどんどん育まれていくでしょう。
 身の回りで起こる暴力の芽を見いだし、その芽を摘み取ることができるように心を配りながら、この一週間を過ごしてまいりましょう。