2021年4月  3.危機にある民主主義
 人間としての「基本的権利のために戦う人々のために」祈るようにと奨めている今月の教皇の意向は、権利侵害の原因として、独裁体制、権威主義体制と並んで、危機にある民主主義体制をあげています。軍のクーデターによる独裁体制のもとで苦しんでいるミャンマー、共産党による一党支配下による権威主義体制のために苦しんでいる香港や中国のウイグル自治区などでは、基本的権利のために戦うべき相手が、軍事政権であったり支配政党であったりで明確ですが、危機にある民主主義体制では、どのような人権侵害が起きていて、どこにその原因があるかが、見えにくい状況があります。そこで今回は、危機にある民主主義について考えてみることにしました。
 民主主義、デモクラシーは、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員が行う、つまり構成員が最終決定権である主権をもつという思想で、多数決の原理をもってそれを遂行している具体的な仕組みを、民主主義体制と言います。国の決まりである法律を、国民の代表である議員が採決によって決める仕組みから、マンションの管理組合が選出された役員によって運営されている仕組みまで、私たちの社会は原則的に民主的な意志決定によって運営されています。構成員の意見を集約するために、選挙によって代表を選出するといった間接民主制も、この思想を支える重要な仕組みの一つです。
 理念として高邁なこの民主主義が、今、危機に直面していると言われており、宇野重規氏は『民主主義とは何か』(2020年10月・講談社)で「ポピュリズムの台頭」、「独裁的指導者の増加」、「第四次産業革命とも呼ばれる技術革新」、「コロナ危機」などの現象を挙げています。また、2020年3月12日のEUの民主主義行動計画(European Democracy Action Plan)では、民主主義、法の支配、基本的人権をEUの基盤と位置づけ、それを守るためにネット世論操作、メディアの自由と多様性の維持、公正な選挙、市民社会、EU外からの干渉などの克服を課題として挙げ、克服するための具体的な計画を整理していました。
 そもそも民主主義は、構成員が善意をもって、最大多数の幸福を願って進める仕組みであって、嘘や情報操作によって判断の材料が構成員に正確に伝えられなかったり、暴力や買収によって選挙の投票がゆがめられたりすれば、瞬く間に崩壊してしまう繊細な仕組みなのです。私の願いではなく、私たちの願いを実現するためには最良の方法なのですが、「私たち」と認識できる人の輪が狭くなって、私たち「だけ」の願いとなり、それが対立することになれば、この仕組みはうまくいきません。
 キリストに従って生きようとしている私たちキリスト者は、「私」あるいは「私たち」の願いを超えて「神」の願い「神」の望みはどこにあるのかを祈りの中で探し求めながら、人の輪の中での合意形成を進めていくようにと、招かれているのでしょう。命をいただいて生きる人の輪が、よりよい方法で合意を形成できるようにと、祈りをささげる一週間と致しましょう。