2021年5月  2.不偏心
 日本の教会は今月の意向として病者を取り上げ、「孤独のうちに病いと闘う人々に寄り添い」、ともに神のみ心を求めて祈りをささげるように奨めています。
 私たちは、病気よりも健康であることを良しとしています。健康であれば、食事も運動も制限されませんし、一般的な社会活動を行うことができます。ですから、心も体も健康であるようにと心掛けて生活することは大切です。しかし、病いは思わぬときに、望むと望まないとにかかわらず、突然に襲ってきます。体調がすぐれなかったり、気分が落ち込んだりするばかりか、痛みをともなったり、起き上がることができないほどの状態になったりもしますので、とても不安になり、なぜ自分だけにこの病いが襲ってきたのかと、憂(うれ)う気持も沸き上がってきます。病いだけでなく怪我も同様で、全く予期していないときに突然に身に降りかかってくるものです。治癒するまでの期間、活動が制限されます。
 さて、生誕500年を迎えたロヨラの聖イグナチオを記念して、5月20日から2022年7月31日まで全世界でイグナチオの年を祝います。ご存じの方も多いと思いますが、騎士として立派な功績をあげることを志していたイグナチオは、26歳の時にパンプローナ城の攻防で砲弾を受けて片足を折り、もう片足もひどい怪我をしました。100キロメートルの道のりを担架で運ばれましたが、苦痛と貧血で瀕死の状態で、病者の塗油も受けました。しかし、聖ペトロ・聖パウロの祝日に突然快方に向かって、力を回復し始めました。
 このような経験を通して、神はイグナチオを聖人への道に招いたのです。イグナチオは、自らの使命を神から授かったときの足跡を、『霊操』という手引書にまとめて、霊性を高めようと望むすべての人に、祈りの道筋を書き残しています。
 『霊操』の中でイグナチオは、不偏心について述べ、「すべての被造物に対して偏らない心を育てなければならない。従って、私たちの方からは、病気よりも健康を、貧しさよりも富を、不名誉よりも名誉を、短命よりも長寿などを欲することなく」とし、私たち一般的なものの考え方とは全く逆のとらえ方をしています。それは、自らが瀕死の状態に至って苦しんだイグナチオが気づいた、心の平安、心の安定、偏らない心でいることの落ち着きの境地なのでしょう。
 病者のために祈るとき、病いや怪我が身に起こった不遇であるという認識から解放されて、あるがままの状態を何ら評価することなく受け入れる不偏心へと導かれるように、心からの願いを神に語りかけるように致しましょう。