2021年7月  5.祈りの意向
 東京オリンピックが始まりました。日本の教会は今月、このオリンピック、そしてそれに続くパラリンピックが、平和の祭典となりますようにという意向を掲げ、ともに祈るようにと奨めています。教皇は今月の意向に、「社会における友情」を掲げ、世界中のキリスト者が心を合わせて祈るようにと奨めています。
 「意向」は英語ではインテンション(intention)ですが、私たちが三位一体の神に何を祈り願いたいのかを具体的に表現したものとして捉えることができるでしょう。教皇による祈りの世界ネットワーク(Pope’s Worldwide Prayer Network)は、月ごとに掲げられる教皇と日本の教会の意向に心を合わせて祈り、一日一日を神とその日に出会う人々にささげる運動です。ですから、私たちが祈ると、それは大きなうねりとなって神の元に届けられ、それが聞き入れられて神の恩寵が私たち一人ひとりに注がれるのです。
 意向はミサにおいても、またミサの中での一つひとつの祈願においても、それぞれ具体的に掲げられているものです。ミサのはじめに、司祭が「このミサを、亡くなられた私たちの兄弟○○さんのためにおささげいたしましょう」と唱えて、ミサ全体の意向を表明することもあります。ミサの中での共同祈願は、信徒が掲げた具体的な祈りの意向です。
 ところで、自分自身が個人的に祈る場合、例えば、朝起きて静かに神と交わる時、あるいは教会でミサが始まる前の祈りの時に、どのようのことを心の中で願っているでしょうか。意向をはっきりと意識しているでしょうか。祈りの時を見つけて神と交わる際には、自分の切なる願い、神に祈りたい事柄をはっきりとさせておくことがとても大切です。
 聖書を素材として祈るとき、レクチオ・ディヴィナの4つのステップを歩むことはキリスト教の伝統のひとつです。レクチオ、メディタチオ、オラチオ、コンテンプラチオは、読む、黙想、祈り、観想と訳されていますが、この第3のステップのオラチオ(祈り)では、自分の切なる願いを、つまり祈りの意向を、神の心に重ねて伝えるひとときです。意向が定まっていないと、祈りはぐらついて、心がこっちに傾きまたあっちに傾き、なかなか集中することができません。はっきりと意向を立てて祈ることは、とても大切なことなのです。
 もう一度、今月の教皇の意向、日本の教会の意向をしっかりと心に留めて、祈りの渦の中にともに加わって、心を合わせて日々を過ごしてまいりましょう。