2021年10月  2.それぞれの使命に応じた
 教皇の意向は、「宣教に向かう弟子たち」と題して、「洗礼を受けたすべての人が・・・それぞれの使命に応じた福音宣教に携わること」を共に祈るようにと奨めています。今から50年ほど前に開催された第2バチカン公会議では、洗礼を受けてキリストの弟子となったすべての人に、宣教の使命があることを宣言しました。公文書の「信徒使徒職に関する教令」では、「信徒は・・・、神の民全体の使命の中で自分なりの役割を教会および世において果たしている(第1章2項)」と記されています。神の国の建設の使命は、特定の人に与えられているのではなく、一人ひとりが自分に与えられた「固有の」使命を果たすことで達成されると説かれています。
 第2バチカン公会議の意向をくんで1987年に開催されたシノドス(世界代表司教会議)では、信徒の召命と使命につて討議され、その成果は教皇聖ヨハネ・パウロ二世の使徒的勧告「信徒の召命と使命(原題はCHRISTIFIDELES LAICI)」として刊行されました。そして、第5章では信徒の養成を取り上げ、その基本的目標を「自己の召命を発見し、自己の使命を達成していこうとするいっそう堅固な心構えを養うこと(58項)」としました。
 さて、私たち一人ひとりは、どのようにして私自身に与えられた固有の召命を発見し、使命を自覚することができるのでしょうか。60項で、「霊的養成が各人の生活で優先されるべきです」と明確に示しています。つまり、祈りの中で神とパーソナル(個人的)な交わりを持って、神が私自身に何を望んでおられるかを聞き分けて、それを喜んで受け取ることにほかなりません。祈りの究極にあるものは、召命と使命についての識別と選定であると言うことができるでしょう。
 私たちは、日々「きょうをささげる」で掲げられた意向に心を合わせながら、毎朝その日を、出会う人々と神にささげ、毎晩ていねいに一日を振り返る生活を重ねています。長い年月のこの繰り返しの中で、だんだんと自分に与えられた固有の使命に気づき、その使命を果たすことで神の国の建設に寄与する心が生まれてきます。この一週間は、特に「私に与えられた固有の使命は何でしょうか」と祈りの中で神に問いかけ続けながら過ごしてまいりましょう。