2021年11月  1.すべての死者
 死者の月、11月になりました。2日の死者の日やその近くの週末には、死者のためのミサがささげられ、教会の共同墓地への墓参も行われます。キリスト教国では、まるで日本のお彼岸のように墓石の前には色とりどりの花が飾られ、人々は死者の永遠のやすらぎを祈り願います。そして、日本の教会は、「すべての死者のため」の意向を掲げて、ともに祈るように奨めています。
 「すべての死者のため」ですから、キリスト教の洗礼を受けた者だけに限定していないことは、すぐに気がつくところですが、カトリック教会ではどのように解釈し説明しているかを確認しておくことに致しましょう。
 今から50年ほど前に開催された第2バチカン公会議は、アジョルナメント(現代化)を標榜して教義を大きく見直す作業が行われました。考え方の大転換の一つに「教会の外に救いはない」という選民思想的なとらえ方を放棄して、神の救いは全人類に及ぶととらえるようになったことがあげられます。日本の教会の守護聖人で1549年にキリスト教を日本に伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、インドのゴアで宣教しているときに、善意の人々がそのまま死んでしまったら、救いの業に預かることができないといって、一日に3000人もの人に洗礼を授けて、神の国を約束したと伝えられています。一方、同じインドで宣教に携わったマザー・テレサは、路上で息を引き取ろうとしている人に、「あなたの信仰は何ですか」と尋ねて、その人の宗教で共に祈りを唱えて看取ったと伝えられています。第2バチカン公会議で教義が大きく変わったことを示す逸話です。
 カトリックのミサの奉献文では「復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟とすべての死者を心に留め、あなたの光の中に受け入れてください。・・・永遠のいのちにあずからせてください」と司祭が祈ります。もちろん、神のみ旨に従って生きた人も、罪を犯した人も、すべてに永遠のいのちが約束されているのです。
 私たち日本の社会では、キリスト教の洗礼に結ばれた人は人口の3%ほどでごくわずかです。寺院の墓地に埋葬されている親族もとても多いのが実情でしょう。このような方たちも、キリスト教の側からは神の国への道を閉ざしていることはありません。死者の月にあたり、この世を去った近しい人々の永遠の安息を祈り願って過ごしてまいりましょう。