2022年1月  3.ザビエル列聖400周年
 日本の守護聖人である聖フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)は、1622年3月12日にグレゴリオ十五世によって聖人の列にあげられました。没後70年の速さで聖人となってから、今年は400周年を迎える年にあたります。1549年8月15日に鹿児島に上陸した聖フランシスコ・ザビエルとその時代のキリシタンに思いをいたし、教皇の意向にある「宗教的な差別や迫害に苦しんでいる」人のために祈りをささげる1週間といたしましょう。
 ザビエルは、訪れた先々で暮らしていた人々の信仰や習俗、生活様式を理解することに努め、またそれを尊重しながら、正義と平和のために共に働く道を探そうとしました。亡くなるまでに日本語を習得することはできませんでしたが、1612年に滞在した山口では仏教の僧侶と魂について論じ合った記録が残っています。(シュールハマー著『山口の討論』新生社刊)。
 このように、訪問先の宗教を否定することなく対話を心掛けていたにもかかわらず、ザビエルが日本を離れてから間もない1587年に当時の為政者である豊臣秀吉によって「バテレン追放令」が出され、さらに1596年には日本26聖人の殉教の後ろ盾となる「禁教令」が発令されました。江戸時代になっても1612年に禁教令が布告されて、1859年に外国人の信仰が認められるといった緩和の方向が示されるまでの約250年もの間、禁教の時代は続きました。
 宗教は、そもそも他の宗教を容認しないものでした。それぞれの民族の生存と繁栄を守護することも宗教の大きな機能の一つであったため、他で祀られている神を認めることは難しかったのでしょう。しかし、今や通信も交通も飛躍的に発達し、あらゆるものの多様性(ダイバーシティ)を容認せざるを得ない時代になりました。あらゆる信仰の形態や宗教を容認することが、基本的人権の尊重の基盤です。今まさに、ザビエルのように、人々の信仰や習俗、生活様式を理解することに努め、またそれを尊重しながら、正義と平和のために共に働く時代が到来しています。
 今日の宗教的差別と迫害の背景には、政治が隠れています。統治、経済的搾取、防衛など、為政者が失いたくないものがあると、その妨げとなっている人々を排除しようとします。宗教帰属によって排除の対象を容易に峻別することができるので、特定の宗教が差別と迫害の標的となることが多いのでしょう。今なお、国際的な報道では、中国のウイグル自治区のイスラム教徒、ミャンマーのロヒンギャのイスラム教徒が基本的人権を奪われる状況にあるとされています。
 多様性を生きるこの時代にあって、すべての宗教が容認され、互いの信仰を尊重し合いながら生きていく道が開かれますようにと、祈ってまいりましょう。