2022年3月  4.司祭への道
 日本の教会の意向は「召命」です。召命というと、司祭や修道者といった、もっぱら神と人への奉仕に生涯をささげる道に、神から特別な恵みを注がれて招かれる人たちだけのことのように思いがちです。しかし、意向の説明文にあるように、洗礼の恵みをいただいた人すべてに、「それぞれの職場や家庭の中で、自分に委ねられた」固有の召命があるとされています。第二バチカン公会議の公文書「信徒使徒職に関する教令」の序文には、「聖霊は今日の信徒に、固有の責務をより強く自覚させ、どこにおいてもキリストと教会に奉仕するように促す」と記されています。私たち自身の固有の召命について、それを自覚して日々の生活を送ることができるように、ともに祈りをささげてまいりましょう。
 ところで、司祭、修道者への召命は、減少の傾向に歯止めがかかりません。昨年6月に、このサイトで「司祭・修道者の召命」と題してその推移を記事にしましたが、その後に発表された2020年の統計でも、大神学生合計が54名と、最少の人数を更新しています。そのうち日本国籍は49名から30名にまで減ってしまいました。
 意向に沿うならばすべての人の召命について取りあげるべきですが、司祭への召命が具体的にどのような道筋で進んでいくのか若者に知られていないことも考えられますので、ここでは司祭への道を紹介することにしましょう。
 カトリック教会の聖職者である司祭には、二つの道があります。一つは「教区司祭」と呼ばれ、ローマの教皇からある地域の宣教司牧の責任を委ねられた司教を中心とした教区で、主に小教区と呼ばれる地域の教会を担当し、信徒の信仰生活に奉仕します。神学院で養成を受け、教会への奉仕と司教への従順の約束などを宣立して、司祭に叙階されます。
 もう一つの道は、「修道司祭」です。教会には、固有の使命をいただいた人々が共同体として神と人々に奉仕する組織である「修道会」があります。十字架の聖ヨハネによってまとめられたカルメル会や、アッシジの聖フランシスコによってスタートした神の国の兄弟の集いであるフランシスコ会、ロヨラの聖イグナチオが同志4人とともに誓願を立てたことから始まったイエズス会などが、それにあたります。清貧、従順、貞潔の誓願を宣立して修道者となり、特に神と人々との仲立ちの役目を果たし、ミサ聖祭をささげる司祭として叙階されます。
 修道司祭への道は、それぞれの修道会で、少しずつ異なりますが、司祭になりたいと志願し、共同生活を送る時期、司祭になるための鍛錬をする修練期を経て神学生となり、哲学、神学を学び、叙階されます。教区司祭の場合は、修道生活のための修練はありませんが、神学院で共同生活を送りながら、おおむね6年間をかけて哲学、神学を学び、叙階されます。
 日本の場合、教区司祭を養成する神学院に入学できるのは、原則高卒以上の学力を持ち、洗礼後3年以上経過している22歳以上40歳以下の独身男性カトリック信徒です。数日間神学院において生活を共にしながら、キリスト教の一般知識、小論文、英語、面接の審査を経て入学が許可されます。 司祭の推薦が必要ですので、所属教会の司祭や、親交のある司祭にまずは相談することから始めたらよいでしょう。
 司祭たちが自分の召命を振り返って綴っている文章には、必ずと言っていいほど教会共同体の支えが記されています。司祭に限らず、若者の召命の責任は共同体にあるのでしょう。共同体として司祭召命の促進に心を合わせて、祈りをささげてまいりましょう。