2022年4月  2.異文化の交流から第三の文化へ
 日本の教会は「家庭」を取り上げ、とりわけ「きずなが揺らいでいる夫婦」のために祈るようにと私たちを招いています。今、この時に心に浮かぶのは、避難する家族と別れて母国のために留まるウクライナの人の姿です。精神的なきずなは揺らがなくとも、物理的なきずなは戦争によって引き裂かれています。このような状況にある家庭に平安が訪れますようにと、心を合わせて祈りをささげましょう。
 さて、日本の教会が危惧しているのは、精神的なきずなが揺らいでいる家庭のことです。互いを受け入れ合い、生涯にわたって「愛と忠実を尽くす」ことを誓った二人が、日々の生活の営みの中で、少しずつ気持ちにずれを生じさせていくことは、特別なことではありません。というのは、生活環境の中で培われてきた一つひとつの営みが、一致していることは、実は非常にまれなことだからです。
 それぞれの家庭には、それぞれの文化があるのです。例えば、正月に食べる雑煮は、その中に入れる具の種類だけでなく、だしの取り方や味の濃さなど、極端に言えばその家庭の数だけバラエティがあります。料理だけではありません。洗濯物の干し方、たたみ方、洗面所での歯ブラシの置き方などなど、生活場面のすべてが、それぞれの家庭独特の文化となっているのです。
 エスノセントリズムという言葉があります。自分の育ってきた集団の文化が最も優れているとして、他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のことです。それぞれの文化は、合理的(理にかなっている)で整合性(よく整っている)があり、それに従うことが最も良いとされる中で育ってくるのですから、エスノセントリズムは極めて自然な態度とも言えます。ただし、自分の文化だけが正しいのではなく、他の人の文化も正しいことを受け入れない限り、他の人から自分の文化が否定されたり低く評価されることになるので、ダイバーシティ(多様性)を承認することを忘れてはならないと、気づくようになります。
 今日、交通と通信が恐ろしいほどのスピードで変化しています。文化がいたるところで出会って、時には衝突しながらも融合していく、まさにそういった時代に私たちは暮らしているのです。ですから、新しい家庭を築く第一歩は、異文化間コミュニケーションだということを心にとめて、二つの家庭文化を重ねて第三の文化を創造することを志していくことができるように、「きずなが揺らいでいる夫婦」のために祈りをささげましょう。