2022年5月 1.まぼろしのJYD |
教皇は意向として「信仰豊かな若者」を掲げ、「召命を充分に生きること」を願って、その模範を聖母マリアの生き方に見出すようにと促しています。イエスの名において洗礼の恵みにあずかったキリスト者にとって、召命を生きるとは自分のアイデンティティを確立することにほかなりません。そのためには、人の命に関わる大切なものの考え方の体系、つまり価値の体系に、できるだけたくさん触れることで、その中から、たった一度しかない自分の人生において、神はどのような生き方を望んでおられるかを、選び取っていく過程が大切です。 したがって、人と人が出会って、大切にしていることを分かち合う場は、人格形成、アイデンティティの確立、固有の召命にとって、欠くことのできないもののひとつでしょう。ところが、キリストのまなざし、マリアの生き方を共有できる人は、日本という文化の中で実に少ないという現実があります。しかも、同世代の仲間と出会う機会は、非常に限られたものとなってしまいます。日本の若者が一堂に集うJYD(ジャパン・ユース・デイ)については2月にこのコラムで紹介しましたが、信仰を持つ若者たちが出会う場としては、絶好の機会であると言えるでしょう。2020年開催の計画でしたが、コロナ禍にあって延期され、この5月の開催を待ちわびていたのですが、誠に残念なことに、今回も開催を見送るという発表が、4月13日になされました。 「情熱を燃やし企画立案してきた先輩青年たちや、様々な形でご支援、お祈りくださる皆様の想いを受けとってきた実行委員会として、開催の計画を簡単に白紙にすることはできません。生まれてすぐ、もしくはまだ若いうちに洗礼を受けた青年信徒にとって、同じ信仰を持つ仲間との出会いと交流の場は、その心を強め、キリスト者としての生き方を考える上で大切なものです。年々信徒数の減少する日本の教会において、小教区や教区の中だけで同じ世代との関わりをもつことは難しく限られたものになってきております。青年たちにとって教区を超え、また日本という土地で繋がれる範囲で国籍も超え、集う機会を設けることの意義は、何度開催を見送っても薄れるものではないと考えております。実行委員会一同そのような使命感のもとに、開催に向けて準備を続けたいと思っております。」 これは、開催見送りのお知らせに記されたものです。この思いに心を重ねて、私たちも祈りをささげましょう。 |