2022年6月  1.聖性を高める
 教皇は意向として「家庭」を取り上げ、「日々の生活の中で聖性を高めていくことができますように」と祈るように奨めています。そこで、「聖性を高める」ということばを取り上げて深めてみたいと思います。
 まず、「聖性」の意味ですが、神の望みが現れている状態を「聖」と捉えるとすれば、どれほど神の望みに近づいているか、そのレベルや程度を「聖性」と理解することができるでしょう。ミサ中に唱える感謝の賛歌は、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」で始まりますが、聖性の極みである神を、私たちが意識できるようにと、導入句として用いられています。クリスマス・イブは聖夜と言われますが、その夜に神の望みがこの地球に現れてイエスが誕生することで「聖」が用いられています。聖人は、神の望みを生きた人とも言えるでしょう。
 神の独り子として遣わされたイエスは、聖なる方です。天の御父と対話を重ねながら、み旨をその身に受けて、最後には十字架への道を歩まれました。ですから、イエスのように生きることは、聖性のレベルを高めていくことになります。昨日よりも今日、今日よりも明日、よりキリストに近く生きることができるかが、聖性を高めることになります。
 では、どのようにしてキリストのように、み旨を生きることができるのでしょうか。それは、イエスのように、祈りの中で御父と対話して、その時その時、神の示す方向に自分の歩みを定めていくことです。より大きな次元で捉えるならば、自分に与えられた固有の召命と使命を、祈りのうちに識別することにほかなりません。
 その場合の、神の示す方向を確認する際に大いに助けとなるのが、無条件の愛の体験です。自分の心と体が、家庭の中で無条件の愛に包まれたときの、平安、安堵、嬉しさ、信頼、喜びといった感覚を味わった体験です。この方向に進めば、人々がこの感覚に導かれるであろうといった、極めて非論理的な、いわば直感のようなものを掴むことができれば、そこはきっと神の望みを歩む道なのでしょう。
 教皇は、家庭の中でこの「無条件の愛を身をもって体験」することができるようにと、私たちを招いておられます。この一週間、家庭が無条件の愛に満たされますようにと、ともに祈り、また、ともに無条件の愛を実践してまいりましょう。