2022年9月  1.「殺してはならない」
 モーセの十戒のひとつは「殺してはならない」です(出エジプト記20・13および申命記5・17)。モーセが自ら考えた掟ではなく、シナイ山で神から授かった戒律です。この戒律には、何の条件もありません。いかなる理由があろうとも、人の手で人の命を奪ってはならないということです。
 私たちが暮らしている社会では、この掟は刑法に組み入れられており、人を殺(あや)めた者は処罰されます。日本ではその処罰の中に、人の命を奪った報いとして自らの命が奪われる極刑、つまり死刑が存在します。他の国ではこの極刑が、殺人犯だけではなく、国家転覆を企てた者や麻薬にかかわる犯罪者にも適用されていることもあります。これが死刑制度であり、教皇は今月の意向で、「すべての国で法的に廃止されますように」と祈ることを奨めています。
 2022年6月現在、世界に存在する206の国と地域の中で、死刑を完全に廃止したのは109です。歴史を遡ると、ベネズエラで1863年に、サンマリノで1865年に、1877年にはコスタリカで死刑が廃止されましたが、19世紀ではこの3カ国だけでした。2000年には廃止国の数は74になりました。そして、今年になって、中央アフリカ共和国とパプアニューギニアで廃止が決定され、前述のように109となりました。
 日本において、収監されている死刑囚は7月26日時点で106人です。1970年11月12日の最高裁判所の判決から50年以上が経過した死刑囚もいます。また、死刑判決が出ているものの、最高裁判所に上告中の被告人が4人、高等裁判所に控訴中の被告人が4人となっています。確定した死刑囚に対して、その刑を執行するためには、法務大臣の死刑執行命令が必要です。最近では7月26日に、秋葉原無差別殺人事件の加藤智大死刑囚の死刑が事件から14年経って執行されました。
 教会は、死刑制度に反対しています。「殺してはならない」からですし、生命を奪うことは、生存権という基本的人権の根底を認めないことに他ならないからです。
 世界には、合法的殺人、つまり人を殺めても罪に問われないケースが3通りあります。その1つが死刑です。執行者も執行命令を下す人も、罪には問われません。ほかに戦闘中の兵士が敵の兵士を殺すこと、そして、安楽死が認められる国では、それを介助することが加えられます。もちろん教会は、この2つも認めていません。いかなる理由があろうとも、人の手で人の命を奪ってはならないのです。
 「殺してはならない」という人類にとっての根本的なこのルールが、すべての国において法的に整備される日が一日も早く訪れますようにと、世界の教会と心を合わせて祈ってまいりましょう。