2023年3月  2.虐待は犯罪か
 虐待や性暴力が明るみに出されて加害者が謝罪し、被害者の救済に対しても社会的関心が高まってきました。カトリック教会においても、虐待や性暴力の事実を隠ぺいする体質に対して、大いなる反省のもとに実態が解明され、たくさんの事例が明るみに出されています。 教皇も日本の教会も意向として虐待を取り上げて、犠牲者、被害者のために祈りをささげるように勧めています。
 加害者は、そして加害者が所属する組織や団体は、被害者が被(こうむ)った精神的・肉体的苦痛に対して謝罪の言葉を述べて、二度とこのような過ちが繰り返されないよう誓うことがなされていますが、その言葉とは裏腹に、次々とこの種のハラスメントが繰り返されている実態も報道されています。
 刑罰が犯罪の抑止力として万全とは言えませんが、一定の効果があることが認められています。虐待や性暴力が刑事事件として取り上げられ、有罪が確定した者に対しては刑罰が科せられる事態も起きていますが、わが国では有罪の確定までこぎつけるためには、高いハードルがあります。
 第一の理由は、その行為が密室で当事者だけで行われたことによる、立証の難しさにあります。当人が真実を陳述していることを裏付ける証拠が、加害者を有罪とする根拠に足りない場合には、無罪となってしまい、社会的な制裁を受けるにしても、刑罰に処せられないことがたびたび起きてきます。
 一つの例ですが、娘に対する実父の性的虐待について「準強制性交等罪」が問われた事件で、検察は実父が娘に中学二年生の頃から性的虐待を行っていたと陳述し、実父もこの性交を認めていたにもかかわらず、「準強制性交等罪」に関して無罪とした判決が下され、多くの人が驚きと怒りの声を上げたことがありました。現在この種の犯罪について、刑法を見直す動きが始まっています。レイプの被害者が訴えを起こしても、同意のもとで行った営みだと主張すれば、刑罰から逃れられる甘さを持った法体系を、根本的に見直そうとしているのです。
 意向にあるように、被害者の心に寄り添って、祈りをささげることはもちろんですが、加害者が改心に向かうようにと、社会の制度を整え、そのために祈ることも、わたしたちに与えられた使命の一つです。性にまつわる虐待が犯罪であるという認識を、社会全体で共有することができるようにと、祈り願ってまいりましょう。