2023年4月  3.アニメの中の暴力
 教皇は平和と非暴力のために祈ることを奨めていますが、日々伝えられる報道からは、平和への道も非暴力への道も遠くに感じられて、息苦しさばかりか、悲しみさえ覚えてしまいます。果たして、私たちの人と人との関係からはじまって、国と国との関係に至るまで、暴力が無くなる時は来るのでしょうか。
 ウクライナとロシアの間で戦闘が行われています。今のこの時にも、武器を使用して人を殺し合っている現実があります。自分の命を国家のために捧げて戦う人の姿は、400年前、500年前の戦国の世と変わりません。戦場では、武器を用いて人の命を殺(あや)めることが、許されてよいのでしょうか。私たちは、大河ドラマを観て、戦国武将の策略や奇襲に胸をわくわくさせながら、目に映る殺戮の場面を、何の痛みも苦しみも感じることなく、むしろ楽しんではいないでしょうか。
 子どもが観るアニメーションやテレビゲームにも、頻繁に暴力を用いた攻撃シーンが登場します。暴力によって相手を殺し、あるいは倒して、自分の財を増やしていくストーリー性がどうやら主流になっているようです。このような環境の中で、一方では平和教育と銘打って、いかに戦争が悲惨であるかを伝えようとしていますが、教員による体罰の報道も途絶えることはありません。暴力の根を枯らしてしまうことはできないのかも知れません。
 子どもの成長を考えるうえで、ゲームやアニメの中での武力を用いた攻撃や殺戮のシーンが、悪い影響を与えていることは、さまざまな研究によって明らかにされています。内閣府からも、「青少年とテレビ、ゲーム等に係る暴力性に関する調査研究の概要」がインターネット上で公開されています。しかしながら、未就学児が観るアニメの中にも、相手を倒して自分の財を増大させていくという筋書きでの展開が、頻繁に登場しているのです。
 アニメの中の暴力に関心を寄せ、悪影響を最小限にとどめて、むしろその悲惨さや苦しみを共感することによって、平和への望みが高まるようにと、子どもたちを導いてまいりましょう。次世代を担う子どもたちが、暴力を憎むようになるための環境づくりは、私たち大人の責任です。教皇の平和と非暴力の奨めに心を合わせて、祈りをささげてまいりましょう。