2023年6月  3.日本での拷問
 日本での拷問の歴史を眺めてみましょう。
 奈良時代、701年に大宝律令が制定されると、罪の容疑が濃厚な罪人への自白の強要のために、役人の立会いのもとで、杖で背中と尻を15回ずつ打つ拷問が制度化しました。1回目の拷問で自白しない場合には、20日以上の間隔をおいて、合計200回まで行われていたという記録が残っています。人権に配慮したとまでは言えませんが、抑制力も働いていて、16歳未満70歳以上の人、出産間近な女性に対しては、原則的に拷問は行われなかったようです。皇族や役人なども、特権的に拷問されませんでした。
 戦国時代から江戸時代まで、背中で手足を一か所に束ねてつるし上げてぐるぐると回す残虐な「駿河問い」と呼ばれる方法のほか、「水責め」「木馬責め」「塩責め」などが行われていましたが、1742年に公事方御定書によって拷問が制度化されて、「笞打(ちだ、むちうち)」「石抱き」「海老責」「釣責」の方法が定められました。
 ところが、キリシタンに対する棄教ための拷問は、極めて残酷なものでした。この拷問は、幕府の役人によってなされたものではなく、藩独自に行われたもので、幕府の徹底的な禁教の方針を忖度(そんたく)した大名たちが行わせたものだと推測されています。蓑(みの)で巻いた信者に火をつける「蓑踊り」をはじめとして、硫黄を混ぜた熱湯を信者に少量注いだり、信者を水牢に入れて数日間放置したり、さらには干満のある干潟の中に立てた十字架に被害者を逆さに磔(はりつけ)したりしましたので、死に至ることもしばしばでした。長崎では雲仙の熱湯地獄に突き落とす拷問も行われた記録が残っています。
 いかなる理由であっても、肉体的また精神的苦痛を与えて、自白を強要することや信仰を放棄させることは、許されることではありません。この拷問という行為は、突き詰めると背後に巨大な権力があることが分かります。今日のウクライナの兵士や住民に対する拷問も、背景には武力を行使している国家権力があります。そして、この権力を承認している国家の体制、政治があります。現代社会においては、さらにそこには、国民である私たち一人ひとりの責任が関わっているわけです。
 教皇の意向は拷問の廃止です。私たち一人ひとりが拷問の廃止を、声を大きくして訴えることが求められているのでしょう。日本では、公権力による拷問はなくなりましたが、世界から拷問という非人道的な行いが無くなるようにと、祈りをささげてまいりましょう。