2023年6月  4.聖体に養われて
 「まことに聖なる神、すべての聖性の源である父よ、いま、聖霊を注ぎ、この供えものを聖なるものとしてください。わたしたちのために、主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。」
 これはカトリック教会のミサで唱えられる奉献文のくだりです(第二奉献文)。司祭が両手をかざしながら唱えるこのことばによって、パンとぶどう酒は聖体となります。
 日本の教会の意向は、「聖霊の恵み」ですが、意向文では「聖霊に満たされ、聖体に養われて」とあります。司祭の手を通してささげるいけにえの象徴としてのパンとぶどう酒がキリストの御体に変わるためには、三位一体の位格の一つである聖霊の力が必要なのです。聖体はキリスト教の信仰の中心で、それは「生きておられる栄光のキリストご自身が、現実に、実体的に、からだと血、霊魂と神聖ともども現存される」というものです。(カトリック教会のカテキズム1413)
 「主の昇天」という出来事を経て、キリストはこの世から御父のもとに移られました。私たちがキリストのもとで栄光を受ける保証として、聖体を私たちに与えてくださいました。聖体をいただくたびにキリストの心と一つになり、この世の旅路で力づけられ、養われていきます。そして、この世にありながら、天上の教会、聖なる乙女マリアと聖ヨセフ、すべての聖人たちと結ばれます。
 私たちは意向に示されたように、「聖体に養われて、神の言葉をいつも守っていくことができますように」と祈りをささげてまいりましょう。葬儀のミサでの共同祈願の例文に「キリストの御からだに養われた者が、キリストの復活の恵みにあずかることができますように」とあります。命を神にお返しした後も、聖体の秘跡の恵みによって永遠の命に導かれますようにと、祈りをささげてまいりましょう。