2023年9月  2.ガウディの最期
 「すごい」という言葉を私たちは毎日さまざまなトーンで耳にします。人の営みをいつくしんでくださる主がおられる「しるし」への真っ直ぐな感動でしょう。
 スペインのバルセロナで活躍した建築家アントニ・ガウディ(1852〜1926)と大聖堂サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)を紹介する展覧会が東京で開催されています。訪れた人々の「すごい」と感動の声があちこちで聞こえます。貧しい人々のための教会を建てようと、すべてを尽くして神を愛し続けたガウディは本当に幸せな人でした。建築が生まれる場所の自然との具体的な関わりを意識し、神の被造物をあるがままで味わい、創造の神秘に歓喜したガウディ。工房で心魂こめて日々作業し「私にとって生きるとはキリスト」を沈黙の深奥で実感していたのでしょう。
 ところがガウディは、教皇の意向にあるような「社会から見落とされたり、必要のない者として扱われたりする」人と、全く同じような姿で命を神にお返しになったのでした。1926年6月7日、ミサに向かう途上で路面電車に轢かれ、その身なりから浮浪者として扱われ、見向きもされず横たわっていた彼は、その3日後に73歳で亡くなったのでした。見捨てられ、蔑まれ、呼吸をするだけの存在となったとき、十字架のイエスとともにいる恵みをいただいたのではないでしょうか。極限にまで小さくされて、静かにイエスのみ心とともにある幸せをいただいたガウディの満たされた表情が見えるようでした。
 現在、サグラダ・ファミリアというプロジェクトは、訪れる人々に感動を与えながらも、この世の光と影を映し出して建設が続いています。しかし、それらすべてをあたかも気に留めないかのように、すべてを自由に使って「急がない」神がおられます。サグラダ・ファミリアは、私たち一人ひとりの小さな存在のどの瞬間においても、いつくしみを注ぎ続ける主に気づくよう私たちをひきつけてやまない存在です。
 ガウディの死の場面と重ねて、周辺に追いやられて生活する人々に思いをいたし、死に臨んだその時に神のいつくしみが注がれますようにと祈り願いましょう。また「すごい」という感動のためか、苦しんでいる人々を見過ごしてしまいがちな私たちを、真理へと導いてくださるようにと祈りましょう。