2024年3月  3.秘密は悪の誘(いざな)い
 「聖職者によって心と体に深い傷を負った方々」に思いをいたし、その苦しみと悲しみに共感し、いつくしみの神が、傷をいやしてくださるように祈りをささげることを、教皇は望んでいます。
 このような性的虐待や性加害といった出来事は、部屋に二人だけがいる状況で起こります。ですから、二人だけになる状況を、できる限りつくらないことが、予防として大切です。また、多くの場合、加害者は「このことは神と私たちだけが知っていることだから、他の人には話さないように」と言い、ときには「これは神聖な行いだ」とも付け加えて、秘密が守られるように言い含めます。
 「秘密にしておきなさい」と私たちを誘うのは、往々にして悪霊からのことばです。秘密にしておくことで、自分が優位な、また有利な立場をつくることができます。このように策を講じて有利な状況をつくることは、神の前の平等をおかすことであり、不正義の始まりでもあります。世間で起きている犯罪は、ことごとく秘密が積み上げられて起きています。
 イエスに秘密はありませんでした。ポンティオ・ピラトの尋問に対して「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。」(ヨハネ18・20)と答えています。「イエスは、『人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない』と弟子たちに命じられた。」(マルコ9・9)とありますが、「ずっとだれにも話してはいけない」とは言っていません。二人だけの秘密ではなく、弟子たちの間では共通に認識されている出来事です。
 そもそも、秘密にしておかなければならない行いを避けることが、神の示す方向です。秘密、隠し事は、悪の誘いです。性的虐待や性加害の当事者だけにこの悪の誘いが向けられるのではありません。すべての人に差し迫る悪のしわざなのです。
 悪霊を退けましょう。主の祈りの言葉、「誘惑におちいらせず、悪からお救いください」を、心を込めて祈りましょう。