2024年3月  5.権力と支配
 社会学の古典に『権力と支配』というマックス・ウエーバーの著作があります。支配の正当性についての論述で、カリスマ的支配、伝統的支配、合法的支配の3つの類型があると次のように整理されています。
 「カリスマ的支配は、支配者の非日常的な天恵の資質、呪術的能力、啓示や英雄性、模範性、強靭な精神、弁舌の力への服従者の感情的な帰依と信奉による支配である。伝統的支配には支配者の『恣意』、カリスマ的支配には支配者の『予言』が含まれ、予測・計算が困難であり、合理的根拠なく神秘的であり非合理的である。合法的支配は『法による支配』であり、正規の手続きで制定された規則の『合法性』への信仰から、法の順守が貫徹される。」
 ここで「権力と支配」について確認している理由は、司祭を含めた聖職者には、この3つの支配の源泉が潜在的に備わっていることを認識して、その潜在的権力を行使することなく、人とかかわっていくことができるように、キリスト教会全体が取り組んでいきたいと願うからです。
 日本の教会は、意向として「性虐待被害者」を掲げて、「深い傷を負った方々が、いつくしみ深い神のいやしによって慰められますように」と、ともに祈ることを奨めています。この意向に心を合わせ祈ることはもちろんですが、聖職者による性加害が起きないようにしなければなりません。
 司祭は、叙階という秘跡によって、神から特別なカリスマが与えられていますが、そのカリスマは神と人とを結ぶ権能であって、人を支配する権能ではありません。しかし、教会には2千年の伝統があり、教会法も整備されていることから、支配の源泉が司祭には与えられていると、聖職者も信徒も錯覚してしまうのでしょう。
 性的虐待を受けた大多数は子どもでした。雰囲気の中で、この人に従うことが誠実であると思い込み、歪んだ権力と支配を身につけた司祭の餌食になりかねません。司祭が権力を乱用することがないように、教会の中で性加害が起こることがないようにと祈りをささげて四旬節、聖週間を過ごし、主のご復活をお祝いいたしましょう。