2024年7月  2.国連難民高等弁務官
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR:The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees)は、第二次世界大戦後、依然として避難を余儀なくされていた100万人以上の人々を援助するために1949年の第5回総会で決議され1950年に設立された機関です。当初は3年の予定でしたが、その後は5年ごとに更新されました。2003年には総会で「難民問題が解決するまで」その期限を延長することが決まりました。
 UNHCRの第一の目的は、難民や庇護を求める人々、帰還者、無国籍者、強制された国内避難民の権利を保護、擁護するとともに、いかなる人も自己の意思に反して迫害を恐れる理由のある国へ送還されないようにすることです。政府による国際法の順守を監視し、難民の権利を主張し、その保護のもとにある人々に緊急援助や物的援助を提供する。こうしたことは多くのパートナーである、政府、非政府組織、市民社会、信仰に基づいたグループ、その他の国連機関との協力とのもとに行われています。また、自発的な本国帰還、最初の庇護を求めた国への統合、第三国での再定住を通して難民問題の長期的な解決を図る。近年、気候の変動や希少資源に対する競争によってさらに悪化する紛争や迫害によって、かつて例をみないほどの強制的な避難が求められています(国連広報センターの資料から)。
 日本の意向は、「難民」で「行く先々で出会う人を通して神のいつくしみの心に触れ、安全で安心した生活を送ることができますように」と祈るように奨めています。周知のとおり、日本政府の難民に対する姿勢は、世界各国の中で非常に消極的だという評価を受けています。2023年に国が認定した難民の数は、アメリカ合衆国が64,068人、イギリスが60,328人、ドイツが46,282人でしたが、日本はわずか303人でした(NOP法人難民支援協会の資料から)。
 緒方貞子氏が1991年から2000年までの10年間、国連難民高等弁務官を務められました。冷戦が終了し、各地で民族紛争が勃発した時期、例えばクルド人の武装蜂起やバルカン紛争、ルワンダで起きた虐殺などで、生きる場所を失ったたくさんの難民のために、緒方氏は世界中を奔走されました。意向に心を重ねて、そして、緒方氏の思い、願い、そして行いに敬意と感謝をささげながら、難民に思いをいたす一週間といたしましょう。