2024年10月 2.霊における会話 |
![]() シノドスは「ともに歩む」という意味であることを確認し、世界中のキリスト者が「聖霊に聞き」ながら、千年先の未来を見据えて歩みを進めていこうとする営みであることが、根本にあります。「聖霊に聞く」という姿勢は、私たち人間の思いを超えて、神の思いがどこにあるのかを祈りの中で感じ取ることです。ここは、私たちの社会で通常行われている意見の交換、会議の進め方と決定的に違う点です。普段私たちは、私の思い、私の願い、私がよいと思うことを大切にしてそれを表明し、合意を形成していく方法、いわゆる民主的な手続きを用いています。ところが、「霊における会話」による合意形成は、皆で「神の思い」を探していくプロセスであって、決して私たちの思いではないのです。ですから、それぞれが発言する前に、かならず「祈り」、つまり神と対話する時間を設けなければなりません。 次に、大切なことは、社会的な地位や教会の中での階位、信仰している宗教のいかんにかかわらず、すべての人に注がれる神の恵みを、平等に取り扱うことです。会議や集会などでは、社会的な立場が影響してなのか、しっかり自分の意見を長々と話す人がいます。一方、恥ずかしそうに、小さな声で少ししか語らない人もいます。神の恵みといつくしみは、すべからくすべての人々に平等に注がれていますので、神との語らいの内容を紹介する時間を皆同じにすることが求められます。ですから「霊における会話」では、一人ひとりの持ち時間を例えば3分に制限して、特定の人が話しすぎないようにしているのです。 いま取り上げた二つのことは「霊における会話」で注意を払うことなのですが、落とし穴があります。一人で祈りのうちに神と語らうべき時間が与えられても、何を分かち合おうかということを頭で考えることに費やされてしまい、神の声を心で受け止めることがむずかしくなることがあります。また、時間が制限されると、そのことばかり気になって、ましてや「あと何秒」と言われてしまうと、せっかく「聖霊に聞いた」ことを分かち合おうとしても、うまく表現できないこともあります。 祈りの時間を持つこと、一人ひとりが時間を平等に分け合うことの大切さを置き去りにして、「霊における会話」がルールに則って進める方法のみに注意が払われることのないようにしたいものです。 シノドスに参加しているすべての人が、この二つの基本を大切にすることができるようにと、祈りをささげてまいりましょう。 |