2024年11月  3.子殺し
 教皇は、子を失った親が「心の安らぎを受けることができますように」と祈るよう、私たちを導いています。死者の月である11月を過ごす私たちは、聖徒の交わり、つまり、天上の教会と地上の教会の境を越えて交わることの中で、死者が私たちのためにとりなしてくださるようにと祈り願っています。幼い命を神にお返しした子どもたちも、私たちを見守ってくださいますようにと、祈りの日々を過ごしてまいりましょう。
 ところで、日本の歴史上では、おなかを痛めた母が嬰児の命を奪わなければならないといった子殺しが、行われていた時代がありました。親の心の痛みはいかばかりであったか、思いも及びません。その背景には、貧しさに加えて、頻発した飢饉があったとされています。最も盛んだったのは江戸時代の中期で、食糧不足のための口減らしとして間引きとして、分娩後に窒息死させる方法や、ほおずきの根を差し入れて流産を促す方法での堕胎が行われていました。当時の習俗の中では、幼児や乳児は人間として扱われず、「七歳までは神のうち」と伝えられた地域もあって、罪の意識はそれほど高くなかったと想像されます。
 旧約聖書には、アブラハムが子イサクを生贄としてささげるように神から命じられ、殺害直前に神がその深い信仰によって、その命令を解いたことが記されていることから、古代では神にささげる供養の中に子殺しも含まれていたことが暗示されます。しかし、キリスト教では、人工妊娠中絶を含めて子殺しは罪とされています。
 現代社会においても、事件としての子殺しが報道されています。子を育てるにあたって、親が抱えるストレスは多大です。しかも、家族制度が崩壊し、夫婦だけ、あるいはその一方だけが子育てのすべてをしなければならない状況も稀ではありません。援助を必要としている若いカップルがたくさんいることを認識することが求められます。
 子殺しであっても、親の心の痛みは計り知れません。事情は様々であっても、死の門をくぐって天上の世界に新たに生まれいでた人々が、永遠の安らぎを得ることができるようにと、死者の月の祈りを続けてまいりましょう。