2025年1月  1.教育を受ける権利
 「希望の巡礼者」の聖年がスタートし、2025年の時を刻み始めた今、世界の各地で戦争や紛争のために苦しみ、住む場所を奪われ、傷つけられている多くの人々に、神のいつくしみが注がれますようにと、心からの祈りをささげ、一刻も早い平和の到来を願い求めましょう。
 教皇は、このような世界の状況にあって、祈りの意向として「教育を受ける権利」を掲げています。教育は未来を希望の光で照らすために、最も大切にされなければなりません。ですから、人が人として成長していくときに、教育は権利として万人にその機会が提供されるものなのです。日本国憲法第26条第1項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と記し、第2項では「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と記されていて、この権利が基本的人権の一つであることを明らかに示しています。
 教皇は、人が成長するために必要不可欠な教育を受ける権利が、戦争や紛争、災害や飢餓などによって奪われてしまっていることを憂いているのです。たとえ教育が制度として維持できない環境にあっても、子どもを育む営みを止めてはならないのです。
 教育とは、これまでに人類が積み上げてきた知識を自分のものとする「知性」を育むことばかりではありません。心がどのように物事を受け止めるかを磨く「感性」、人と平和に暮らすための知恵としての「理性」、さらには、私たちにいのちを与えてくださる大いなるものとの交わり方についての「霊性」の4つを欠くことができません。
 そして、教皇の意向の最後のことば「常に」に心をとめたいと思うのです。戦争が、紛争が、飢餓が、災害が、収束して、さて、教育に取りかかろうというのではなく、戦渦にあっても、被災地にあっても、「教育を受ける権利」は最優先されるべきことだと、「常に」は示しているのです。
 この大切な権利が、大人たちのわがままによって奪われている子どもたちのために、新年の祈りをお捧げいたしましょう。