2025年6月  3.イエスとの人格的な交わり
 イエスのみ心の月にあたって、教皇の意向は「世界に思いやりの心を育む」と題して、イエスとの人格的な交わりに私たちを招いています。
 祈りには大きく二つの方法があるとされています。一つは口祷で、決められたことば、例えばアヴェ・マリアの祈りなどを唱えて祈る方法です。もう一つは念祷で、心の中で自由に祈る方法です。そして念祷には、神の業やイエスの行い、あるいは自分の生活の様子などを思いめぐらす黙想と、神に語りかけそして神からの応答を待つ観想の二つの段階があり、この観想が、イエスとの人格的な交わりの場となります。
 2008年の世界代表司教会議(シノドス)第12回通常総会で発表された最終文書の要約に、次の記述がありました。『「霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」は祈りのうちに聖書を読むことです。それは、黙想と祈りと観想を通じて、生きた神のことばであるキリストと出会うことを可能にします。』何と心強い言葉でしょうか。私たちはイエス・キリストと人格的に交わることを切に望んでいますが、なかなかその域に至ることができません。しかし教会ははっきりとしたことばで、「キリストと出会うことを可能にします」と公言しているのです。
 イエスのみ心に触れるために、この方法、レクチオ・ディヴィナを身につけるようにいたしましょう。四つの階段、読む(レクチオ)、黙想する(メディタチオ)、祈る(オラチオ)、そして観想する(コンテンプラチオ)を一歩一歩上っていくと、キリストに出会うことができるのです。イエスとの人格的な交わりの時を持つことができるように心がけて、日々の生活を整えてまいりましょう。