2025年7月 3.2分でも毎晩の究明を |
![]() 悪の力に負けて、神の望みを生きることができない状態が、「罪」です。教会は、たとえ罪を犯したとしても、神に立ち返ってゆるしを得て、再び誠実に歩む道を開いています。「ゆるしの秘跡」です。また、ミサの初めには回心の祈りで罪を認めてゆるしを願います。ですから教会は古くから、自分が犯した罪について、「思い、ことば、行い、怠り」を振り返ることを大切にしてきました。教会の伝統として続けられてきた「良心の糾明」がこれにあたります。日本でも、キリシタン時代のこんふらりあの一つの「さんたまりあのくみ」の規則にも、「ねさまのゑさめ」として、就寝時に必ず行うこととして定められていました。 第二バチカン公会議を経て、一日を振り返る時に神からいただいた恵みについても、感謝のうちにそれを思い起こすことの大切さが確認されて、良心を罪の観点からだけで振り返るのではないので、「良心」ではなく「意識」、そして「糾明」ではなく「究明」という訳語に変わってきました。イエズス会司祭のアッシェンブレンナー師はこの新しい観点を加えた「意識の究明」を、1.感謝、2.聖霊の光を願う、3.一日を振り返る、4.感謝、痛悔、ゆるし、5.明日への助けとみちびきを願う、の5つのステップに整理して、一日を終える時に10分から15分をかけて行う方法を紹介しています。 (霊性センターせせらぎのサイト内「意識の究明とは」に具体的な方法が掲載されています) 毎晩きちんと10〜15分を使って究明することは、信徒にとってかなり厳しい日々の営みです。一生懸命に究明をして、三日坊主になってしまうこともたびたびあるでしょう。しかし、継続しなければ、聖霊の導きと悪の誘いを見出すことに深まりはありません。1〜2週間、1〜2か月で究明の達人になることなどできません。1〜2年でも充分ではないでしょう。10年、20年続けることで初めて、究明が「識別の力」となるものです。ですから、不完全でも毎晩必ず行って継続することが大切なのでしょう。驚いたことに、教皇フランシスコは、2022年11月30日の一般謁見演説「識別についての連続講話」第10回で「たった二分でいいのです。きっと役に立ちます」と言っているのです。 今日から「意識の究明」始めてみましょう。不完全でも続けるコツをつかんでまいりましょう。きっと「識別の力」が少しずつ備わってくる感覚をつかむことができるでしょう。 |