アーカイブ

さすらい

私の心をひきつけるものがいろいろあります。 旅行に出て美しい景色を堪能(たんのう)したり、人との出会いや美味しい料理を楽しみたい。映画を見て、冒険やスリルや人情味を満喫したい。自分をアピールするのにもってこいの服が見つかったので、ぜひ買いたい。家を新築するのだけれど、内装・外装・家具・道具類にほしいものがたくさんある。子供を良い学校に入れたいけれど、準備はいくらしてもきりがない。楽器の一つとか、身につけたい趣味がいろいろある。などなど。 こういう望みがめざしている根本的な理由は、ほんとうの自分に出会いたいということかもしれません。それを求めて「自分探し」の旅を始めるのですが、なかなか目的地にたどり着けません。 何も不自由していないのに、手ごたえのある生きがいを感じないのです。心の底がなにか満たされないのです。 飾りに心をひきつけられすぎるのでしょうか? 他人の思惑を気にしすぎるのでしょうか? 刹那的な楽しみでは満たされないと知りながら、なおそれを求めてしまうのでしょうか? 人間の輪の中ですべてを見出せると錯覚しているのでしょうか? 変わらないもの、永久に存続するものに近づくためには、期待をかける方向を転換することも必要なのではないでしょうか。

(特集-渇き 4 2002/3/1)

ページ上部へ戻る