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1. クリスマスを待つ心

 

そろそろ、デパートや商店街ではクリスマスソングが聞こえ始め、クリスマスセールも行われる頃です。教会では待降節が始まります。
 待降節とは、クリスマス――キリストの誕生――に向けての準備の期間です。その準備の時を過ごすのに大切な心構えがあります。ここでは四つの心の姿勢について考えていきたいと思います。すなわち、目覚める心、見張る心、待ち望む心、希望する心です。

①「目覚める。」

 かつての世界は、眠っている状態と目覚めている状態、夜と昼、闇と光などの違いがはっきりしていました。しかし、今はそうでもありません。夜になってもネオンが輝き、昼のような明るさ、まばゆさを感じさせられます。また、夜中働いて、昼間眠る人もいます。
 目覚めは、眠りから覚めることです。  眠っている状態の一つの表れは、周りに起こることに気づかないことです。それに対して目覚めている時には、周りの世界がはっきりと見えて反応することができます。  また、眠っている時には夢をみます。夢をみている間は現実から離れています。別な世界に留まっているのです。目覚めていれば、現状をしっかり把握してそれに働きかけることもできます。

②「見張る心」

 待降節は、この世に来られるイエスを迎える準備の時です。また、私たち一人ひとりの人生に働きかける神を迎え入れる準備でもあるのです。
 神は様々な出来事を通して働かれ、その出来事のうちに私たちとかかわってくださいます。そこで、私たちは「見張る心」で一つひとつの出来事を大切に見つめながら神の訪れを待つよう心がけたいと思います。
 「見張る心」というと色々なイメージが頭に浮かんできます。戦争の時、見張り番は敵の動きを一生懸命に見張ります。店やレストランなどの従業員は、客の動きをよく見ていて、その要求に応えようとします。
 現代、人々はあらゆることに安全を求めます。そして、起こりうる出来事をできる限り予知する方法を探します。天気予報から相場の変動まで細かく調べた上で毎日の行動を決めようとするのです。また、同じような考え方、同じ興味を持つ人々が集まって、同質で安全な社会を作り上げようとします。こうして、できるだけ予期できないことを避けるようにします。
 実際、神の訪れは予期できないものです。突然現れ、突然消えていくこともあります。だからこそ、その訪れに気づけるような「見張る心」を持ちたいのです。
 イエスはたとえ話の中で、夜中、外から帰ってくる主人を待つ僕(しもべ)達の姿勢を細かく描いています(ルカ12:35-48参照)。
 私たちも待降節の間だけでなく、いつも神さまの訪れを注意深く待ちたいものです。

③「待ち望む心」

 クリスマスを迎える待降節の間、教会でよく聞かれるみことばがあります。
 『天よ、露(つゆ)を滴(したた)らせ、雲よ、正義を降(ふ)らせよ。
 大地よ、開いて救い主を生み、正義の花を咲かせよ。』
 教会は、全人類に正義と平和をもたらす救い主を願い求めています。
 現代世界に生きる人々は、国家や民族間、また文化の違いなどから生じた対立や敵対関係をなくして、正義に基づく平和を招来する救いを待ち望んでいます。そして飢餓に苦しむ人、抑圧されている人、自由を奪われている人、不治の病にある人、失業している人、‥‥‥このような人々は暗闇の中にも一すじの光を求めているのです。
 多くの人々は、自分や家族のため、また身近な人たちのために健康や繁栄、小さな幸せを願っています。そして家族の中に暖かさや安らぎを見出そうとしています。
 学校や職場、その他の場での人々とのかかわりにおいても、お互いの尊敬と理解を求めながら、毎日の生活を送りたいと願っています。
 世界の人々の上に正義に基づく平和と幸せを心をあわせて祈り求めたいと思います。

④「希望する心」
 9月11日の同時多発テロ事件以来世界の動きをみると、喜ばしくない出来事が次から次へと起こってきました。武力報復による戦争状態、そして、世界の安全は危うくなり、経済も悪化の一途をたどっています。
 多くの人々は未来に期待が持てなくなっています。今、世界は極限状態に置かれていると言えるかもしれません。希望のない状況ばかりです。
 実際、希望する心はまかせる心によって養われます。
 聖書には次のような言葉があります。
 
 「主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。」(詩編37・4-5)

 しかし、まかせる気持ちになるためには人間への過信を捨てなければならないでしょう。確かに人間は驚くべき事を達成してきました。人間はどんな高山も征服し、どんな深海をも探検します。月へも行き、遺伝子を読み取り、生命の神秘にも迫ります。そしてあたかも何でもできるかのように振る舞ってしまいがちです。しかし、どんなに科学や技術が発達しても、人間の悲しみ、絶望、迷いなどは、少しも解消されません。
 事実、人間には努力すれば、できることがあります。他方いくら頑張ってもできないことがあります。
 まさにそのとき、自分の力をこえた、目に見えない神が助けてくださるのです。神にすべてをまかせるという感覚を育てたいものです。そうすれば、どんなに絶望的なときでも、希望が湧いてくることでしょう。



(特集-クリスマス 1 2001/12/14)

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