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11. 「だからこそ信じる」
3月11日午後2時46分、私は勤め先の幼稚園の園庭で預かり保育の子どもたちの保育にあたっていました。「先生、地震が来るよ」教室にいた先生が叫んだ直後、立っていることができないほどの大きな揺れが来ました。子どもたちも職員も怪我、なく無事でしたが、そのときは東北に何が起きていたか等知る由もありませんでした。
その日は強い余震が続いたため、ずっとテレビを付け、すぐに非難ができるようにしていました。少しずつ明らかになって来た被害の状況や、通夜身の映像は、信じられないほど恐ろしく、悲しいものでした。地震から数日間は幼稚園も休園し、後片付け等に負われました。
当たり前の日常が、当たり前ではなかったことに、ようやく気づき始めました。 震災後、国内外を問わず、多くの人々が被災地の救援、復興に向けて動き始めました。これほどたくさんの人々が「今、自分にできること」を「誰かのために」行う姿は、悲しみに満ちた地に灯りを灯っていくようでした。 私も自身に「私にできること」を問いかけました。私にできることは神を信じ、祈ることでした。ある雑誌に「これで神がいないということが分かった」と言った内容の文章が、被災地の写真とともに掲載されていました。私は心の底から「それは違う」と感じました。なぜかと聞かれても納得されるような答えは出せませんが、私には神がいると信じることしかできません。だからこそ神を信じることのできない人、希望を持つことのできない人のために祈っています。
また、5月の前半と7月の後半に、被災地を訪れる機会がありました。修道会の聖歌隊として避難所で小さなコンサートをさせていただくためです。私たちは歌手ではありませんが、被災地の復興と、わずかでも被災された方々の癒しになることができるよう、祈りを込めて歌いました。 実際に被災地を見た時には、言葉にならない思いでいっぱいでした。その中で苦しみ、深い傷を負いながらも前を向いて生きようとする人々、全国各地からのボランティアや自衛隊、警察官等の姿に、希望を感じました。それと同時にこの震災で亡くなられた方々のことを想いました。仮埋葬地にはまだ身元が分からず、引き取り手が見つかっていない方が沢山おられました。まだ行方不明の方もいらっしゃいます。すべての人々が神様の元で安息を得られるように祈り続けていきたいと思います。
今回の震災を通して、私は改めて自分が生かされているということに気づきました。神から与えられた命は多くの人に支えられて今日を迎えていることに感謝し、私も誰かの支えとなることができるように、今、自分にできることは何かを問い続けていきたいと思います。
東京都在住 20代女性
(特集-だれかのためにできること11 2011/9/9)