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8.「平和アピール」の結びに

国と国、民族と民族とが、それぞれ異なる主張、利害、文化、歴史を持って、地球上の人類の営みが展開しています。ですから、緊張や衝突の火種が、各地にさまざまな形で存在するのは、避けがたい現実でしょう。
 けれども、「戦争が人間のしわざ」であることは、否定できない事実です。
 私たちは、困難を感じながらも、暴力が生まれる理由を理解するよう努めつつ、引き続き、恒久的な平和を願って、この特別ページを終えたいと思います。


【なぜ暴力が生まれるのか】

テロリストは、信仰する宗教の精神にも同意することなく極端に走っています。暴力を振るい、人を殺す者は、どんな宗教においても良いメンバーとは言えません。そのような人々は、いかなる宗教からも非難されるでしょう。
 しかし、テロを非難するだけでは不十分で、なぜテロが起きたのか、また、テロを防ぐにはどうしたらよいのかを、自問すべきです。これらは、宗教の大きな課題であって、一つの宗教だけでは解決することができません。すべての宗教が協力しなければならないのです。
 抑圧され、不正を被っている人々は、ついには怒り出します。飢えに苦しみ、仕事もない人々も、そうです。読み書きができず、学校にも行けなかった人々は、問題を理解せず、怒りや暴力に身を任せがちになります。また、貧富の差が大きければ、貧しい人々は怒ります。怒りや飢えは、人々を暴力へと駆り立てます。しかし、これで全てが説明できるわけではありません。数百年前の事に今でも怒りを持ち、お金や食物があっても、暴力を振るう人もいます。‥‥‥宗教は、こうした動機を吟味するのにふさわしい立場にあるのです。

  (フランシス・アリンゼ枢機卿) 'Civilization In The 21st Century'Daily Yomiuri 12/01/2002 より


【恒久的な平和を求めて】

教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、世界の諸宗教の代表に呼びかけ、1月24日アシジで、平和を求める祈りを共にしてくださるよう、招いています。

平和のための祈りは、平和への決意の「後に来る」ようなものではないのです。それどころか、秩序と正義、自由のうちに平和を築き上げる努力の中核をなすものです。
 平和のために祈ることは、神のすべてを新たにされる力の到来に、人の心を開くことを意味します。
 平和のために祈ることは正義のために祈ることでもあり、国家内と国家間の関係に適切な秩序を祈ることでもあります。またそれは自由を願い求めることで、とくに、すべての人の基本的な、そして市民としての権利である信教の自由を祈ることです。
 平和のために祈ることは、神からのゆるしを願いそれと同時に、受けた攻撃をゆるすために必要な勇気を願い求めることです。

この世界平和の日に、テロ行為の犠牲となった方々、その悲劇に打ちひしがれている遺族の方々、そしてテロ行為と戦争によって、今も傷つけられ、苦しめられているすべての人々のために、すべての神を信じる人の心から、より強い祈りがささげられますように。私たちの祈りの光が、その情け容赦ない行為で、神と人に対して重大な攻撃を仕掛けている人々にさえも及び、彼らが、自分たちが引き起こしたことに思いを向けて、その悪に気付くことで、すべての暴力的意図を捨て去るよう突き動かされ、ゆるしを願うまでになりますように。
 この多難な時に、全人類家族が、真の永続的な平和を見いだすことができますように。

  ヨハネ・パウロⅡ世「平和への祈り」(「『世界平和の日』教皇メッセージ」より)


私たちも、暴力や戦争がなくなるよう祈り、これからも真の平和を訴え続けていきたいと思います。

 

(特集-平和アピール 8 2002/1/18)

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