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2. いただいたいのち

  私の三男、秀海は、現在16歳で高等部1年生です。
 彼の誕生の様子と、その体験を通していただいた恵みを分かち合いたいと思います。
 私はその時36歳で、すでに3人の子どもを授かり、みな元気で何も申し分なく育ち10年の月日が過ぎたころでした。教会の仲間との分ち合いのグループに参加して2年ほど、地域で障害児の方々のボランティアをはじめて1年目に、彼は私の胎内に宿りました。
 妊娠4ヶ月に入ってから流産の兆候が見られましたので、私は寝たり起きたりの毎日を過ごしていましたが、6ヶ月で破水、8ヶ月の出産となりました。
 すでに彼はお腹の中で仮死状態となり、20分ほどかかって帝王切開によって産まれましたが、一時的に脳に血が通わなかったため、一部が機能しなくなり、脳からの指令が筋肉に届かない障害が結果として残りました。しかし、かけがえのない一つのいのちをいただきました。
 私は破水してから出産までの50日の間は、天井を向いたままのベッドでの生活でした。そのとき、私はもうダメだと思い、何度となく先生に「無理だったらあきらめます」と言ったことを思い出します。しかしそのたびに主人は、「子どものいのちだけは何とかしてください」と担当医に言い続けたそうです。出産での帝王切開の直後も高熱により、私は生死の境をさまよいました。主人は、「母親の方がダメかもしれません」と言われたときには目の前が真っ暗になり座り込んでしまったそうです。なにしろ一つのいのちを生み出すのに、私もいのちがけになろうとは思ってもいませんでした。
 母子ともにいのちはいただいたものの、さあそれからがまた大変でした。4ヶ月目に医者に言われました。「あなたの子どもだからはっきりと申し上げます。この子は何もわからない寝たきりの子どもになります」と。それはちょうど16年前のクリスマスの日でした。
 それからというものリハビリやけいれんの発作のため人退院を操り返し、小学校に入るまでは救急車で何度病院に走ったかわかりません。今でも彼は自分でご飯を食べることも歩くこともできません。
 秀海は今、北九州養護学校に在籍しており、月曜から金曜日まで北九州市立療育センターに入所して通学しています。四肢体幹の機能障害という重度の障害です。しかしたくさんの方の祈りと支えをいただいて、今は元気で少しおしゃべりもするようになりました。
 いま振り返りますと、秀海との出会いは、私たち家族にいのちの大切さと、また他人への思いやり、人と人との愛の交わり、神様との出会いを体験させてくれました。障害を持つ者が地域で人間らしくともに生きるための運動や、生活の振り返りと分ち合いのグループも続けさせていただいています。
 ともにいのちを大切にする文化を築く、そんな仲間の輪が広がっていきますように。

樽角 優子(福岡県・53歳)

(特集-いのち 2 2002/12/13)

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