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3. 最後の持ち物

 クリスマスが来ます。各地で野宿している人々が増えています。野宿者のための家で、昨年も野宿している人々とクリスマスをしました。メニューはいつも同じで、豚汁とご飯に漬け物。変わっていたのはクリスマスのメッセージを語る人でした。「福音を語ると天下一品」という評判の神父と浄土真宗の和尚が、お話を担当しました。和尚がどんな話をするのかスタッフも興味津々(しんしん)でした。和尚は「いのちのかけがえのなさ」をじゅんじゅんと説きました。しーんと聞き入りました。出し物はヴァイオリンとピアノの演奏でした。豚汁の昼食を取り、靴下とタオルとチョコレートのプレゼントを持って、帰るおじさんの一人が言いました。「俺たちはホテルには行けないので、今日は豪華なディナーショーに来たみたいだった。ありがとう」と。
 いつもクリスマスから寒さが厳しくなり、家のない人々が年末年始を元気に越すことができるかどうか心配で、越冬活動と呼ばれる支援活動がなされます。「越冬」、この都会で無防備な姿で野宿している人にとって、生きて春を迎えることは決して簡単なことではないのです。
 豊かな場では、説教や説法で「あなたには暖かい家があるじゃないか、友だちがいるじゃないか」と、普段忘れている恵みを思い起こさせてくれるメッセージが語られます。でも、何も持たないおじさんたちと一緒に私たちは何を思い起こすことができるでしょう。和尚は言いました。「誰もがいのちを持っている、この尊さに頭を下げながら生きよう。」
 おじさんたちの最後の持ち物、危機にさらされている裸の「いのち」。私たちも家やお金でごまかしているけれど、やっぱり裸の「いのち」が最初で最後の宝物です。
 クリスマスは、神様が「はかないいのち」にイエス様を贈ってくださったことを思い起こす日です。互いにそのいのちに膝をかがめ、いのちを尊び、共に生命を満喫したいものです。

島 しづ子(愛知県・牧師)

(特集-いのち 3 2002/12/20)

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