アーカイブ

2. アフガンの子供たち

 ますます二極化していく世界。富める人たちはますます豊かに、貧しい人たちはさらに貧困に。格差をなくそうとする先人たちの努力も空しく、その差は拡大するばかり。欧米に並ぶ先進国日本で、便利で快適な暮らしを享受しながら、私はいつもどこかで後ろめたさを感じていました。それは人間の良心に起因するものだろうかと思います。このままではいけない。何かしなければ! 自分に何ができるだろうか? いつもそう思い続けてきました。
 この度、機を得て、アフガニスタンへ行きました。前2回はNPOの援助活動のサポーターとして、今回は単独で行ったのですが、孤児たちを支援することこそ自分の仕事、という確信を胸に帰って来ました。首都カブールではすでに政府や民間の孤児院が運営され始めており、十分と言えないまでも孤児たちには家とベッドと食べ物が与えられていました。
 援助の行き届かない地方ではどうだろう? 勇気を出して訪れたアフガニスタンの西部ヘラートの男児孤児院の状況は、劣悪そのものでした。狭くて暗くて何もない部屋に、子供たちはただ立ったり座ったりして収容されていたのです。寝転ぶスペースすらないように見えました。輝きの一切失せたうつろな目で無表情に私を見ました。それが射すようなあるいは恨むような目に感じられて、私は申し訳なさで身が縮みました。
 「ごめんなさい! きっと戻って来ますからね。何とかしますからね」と頭に血が上った状態で、日本語を発していました。その夜は、彼らの目が私に迫って、一睡もできませんでした。「見た者の責任」を果たさなければ‥‥。
 この孤児院を私ごときが支援しても、砂浜に水を撒くようなもの。きっとさっと乾いてもとのまま。わずかな子たちを救いあげても、他の子たちを差別し見捨てることになるのでは? 大きな宿題をもらいました。いったいどうしたらいいのでしょう?
 ありがたいことに支援の声があがり、志を同じくする友人たちと「アフガン孤児支援・ラーラ会」を2003年8月6日に発足することができました。そして、最も悲惨な状況にあるソマイヤ孤児院の男子250人に人間的な温もりのある住居を提供することを決定しました。また、UNHCR(国連難民高等弁務官)ヘラート事務所や現地NGOが窓口となり、孤児の家の建設の具体的な交渉が可能になりました。
 大きなことはできないかもしれないけれど、同じ地球上で捨て置かれようとしている子供たちに、私たちは「あなたたちを見捨てない、見守っている」と伝えたいのです。可能な限り継続して支援する所存です。子供たちに平和とは仲良くすることだと伝えたいのです。

※「ラーラ会」のラーラとはダリ語で、アフガニスタンの国の花チューリップを指す。23年間も戦乱の続いた荒れ果てた大地に、色とりどりのチューリップが咲きそろうようにとの願いをこめて命名された。

柄子 真弓 (アフガン孤児支援・ラーラ会 代表)

(特集-コンパッション 2 2003/12/5)

ページ上部へ戻る