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2. キリスト教徒として生まれたパウロ

 パウロは教会の熱心な迫害者でした。その彼に、決定的な出来事が起こります。

 キリスト教徒の多くは、迫害を逃れるためにエルサレムを後にし、ダマスコへ向かいました。パウロもその人々を捕え、エルサレムに連行するため、仲間と共にダマスコに向かいました。
 まもなくダマスコへ入るというその時、突然天からの光が彼を射抜きました。パウロは 「なぜ、私を迫害するのか」と呼びかける声を聞きます。「あなたはどなたですか」と問うパウロに、「私は、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」という答えがありました。パウロと共に仲間達がその場にいたにも関らず、天からの光に打たれ、キリストの声を聞いて反応を示したのはパウロだけでした。キリストがパウロだけに呼びかけたのか、それとも皆に呼びかけたのにパウロだけが心を動かされたのか、共にいた仲間達はものも言えず立っているだけでした。
 町に入ったパウロは、三日間目が見えず、食べも飲みもせず、ひたすら祈って過しました。

 パウロは自分に何が起こったのか理解できず、目が見えない三日の間、断食と祈りの日々を過ごします。迫害をしているときの彼の中に良心の呵責がなかったわけではないでしょう。神の前に正しいと思いながらも、人々の苦しみ、悲しみを目にするのですから。
 三日間の闇の中で、彼の心に一筋の光がさしていたのではないでしょうか。その光がどこから来るのか祈りのうちに捜し求めていたのでしょう。目が開けて光の下に出された彼の心は一転します。
 主はパウロの為にアナニアという弟子を遣わしました。アナニアはパウロが行なってきた迫害のむごさを知って戸惑います。アナニアもパウロがエルサレムに引いていこうと思っていた者の中の一人でした。自分も危険に合うかもしれないし、どんな悪い事態をも引き起こしかねないパウロを助けるよう命じられているのです。しかし、主はアナニアに言われます。「あの者は、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」と。
 主の言葉に従いアナニアは出かけていきました。アナニアの祝福によりパウロは目が見えるようになり、洗礼を受けてキリスト者としての歩みを始めることになるのです。(使徒言行録9・1-18)
 誰もパウロが洗礼を受けるとは考えていませんでした。しかし主がパウロに出会い、彼を捉えました。パウロ自身、この出来事を「神の働き」と理解しています。(ガラテア1・15-16)パウロにとって、キリスト教徒になるという事は、それまで自分のものであった全てを失い、あらゆる不利を背負い込む事を意味しています。この出来事には、彼の思いや考えを超えて働く、抵抗しがたい力があったと考えざるを得ません。

 このパウロの回心は、あまりにも奥深い出来事です。この出来事を通して、パウロはキリストに捕らえられました。そして人間的な弱さの中にあっても、キリストがパウロの中で働き、パウロがそれに協力していることが、その後の彼の働きを通して示されていきます。 

参考資料
『聖パウロの世界を行く』 曽野綾子編著  講談社
『パウロの信仰告白』 カルロ・マルティーニ著  女子パウロ会
2008年6月6日パウロ年公開講座  澤田豊成神父講演

(特集-聖パウロ 2 2009/6/5)

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