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21. ボランティアとは、
5月と8月の各々3日間、塩釜ベースの災害ボランティアに参加しました。
阪神淡路大震災の時に被災地を訪れなかったことが、ずっと悔やまれていたので、今回の震災こそは、何か手伝いに行かねばならないと思っていました。でも、自動車もなく、キャンプの経験もない私が、どうして災害ボランティアに参加できましょう。何もできずに悶々としていたところ、カリタスジャパンがボランティアに宿泊施設を提供していることを知りました。ありがたい、それなら私でも参加できます。即座に申し込みました。
5月の塩釜は、街の片づけが進められている最中でした。道路脇には横転した車が散乱し、家の前には壊れた家財が積まれています。それでも少しずつ店が再開しはじめていて、町の復興が緒に就いたことを感じました。ボランティア活動は、各家庭のヘドロのかき出しや、壊れた家財の片づけなどの災害復旧作業でした。一刻も早く、町が活気を取り戻してくれることを、心から願わずにはいられませんでした。 塩釜近くの七ヶ浜町に行き、町全体が津波にさらわれた惨状を目にしました。特に被害の大きかった菖蒲田浜は、多くの住宅が建っていた場所が一面のガレキの海になっています。目の前に広がる家々の土台を前に、涙を抑えることができません。
8月に再び訪れた塩釜では、再開したお店を多く見かけ、町が復興しつつあることを実感できて嬉しかったです。一方で、津波の被害が大きかった地区は、多くの住民が町を離れていることを知りました。今回、その地区の町内会の夏祭りに参画しましたが、この祭りをきっかけに住民を呼び戻し、町の活気を取り戻したいという町内会の方々の意気込みを感じました。ボランティア活動として地域の自立支援も大切だと感じました。
2回のボランティアを通じ、私の心の中で、ボランティアに対する大きな気づきがありました。 被災地の惨状を見て、被災地の人たちの話を聞き、被災地の人たちの悲しみや苦しみに共感することを通して、被災地の人たちの中に自分自身を感じていることに気づきました。 被災地の人たちの悲しみは自分自身の悲しみであり、被災地の人たちの喜びは自分自身の喜びである。 被災地の人たちが、自分や家族と同じように、身近で大切な存在であると感じることができました。
そう思えば、ボランティア活動とは、「だれかのため」ではなく、自分や家族を助けにいくようなものです。
そう思えば、ボランティア活動とは、何か素晴らしい行為ではなく、ごくあたりまえの行為です。
自分にとって、被災地の人たちが、自分や家族のように身近で大切な「隣人」になること、そして、被災地の人たちにとっても、悲しみや苦しみを分かち合える仲間ができること、この心の絆をつくることが、ボランティアの本質なのだと思えます。
大切なことを気付かせてくれたカリタスジャパン、塩釜ベース、そして塩釜ベースで出会った多くの素敵な皆さんに、心から感謝しています。
40代 東京都在住 Y.I 男性
(特集-だれかのためにできること21 2011/11/18)