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二人の父に恵まれて

 私がイエス様を知ったのは「第二バチカン公会議」後、2~3年過ぎた頃でした。受洗して二人の父親に恵まれました。私を生んでくれた父と、洗礼を授けて下さった霊的父である神父様です。今は、二人の父は神様のもとへ旅立ちました。私の人生は、この二人の父の愛が無ければ虚しいものになっていたでしょうし、今の私は無かったでしょう。

 ミッションスクールで学び、聖書に出会い、不思議さ、楽しさの交差するキリスト教の勉強に夢中になりました。私の霊的父である神父様は、私の父へのアクションを起こして下さいました。「お父さん、お友達になりましょう。そして、お父さん、私に神道を教えて下さい」と・・・。実は、私の父は神主でした。父はとても喜び、神父様と共に彼方此方の神社を廻り、一つ一つの神社の説明をして歩いたようです。神父様は、父の教えを何一つ否定せず、「知らなかった。知らなかった」と頷いて、質問を交えてお聞き下さったようです。神道の「八百万神」のgodsから、唯一神教のカトリックのGodの教えを受けていたのは自分の方だったと、後になって父に聞かされました。

 あの頃は、未だ「信仰の自由」と申しましても、少女が一人で、家代々の神道より改宗するなど、あり得ない事でした。神社ですから、父の手伝いで結婚式もお葬式もあり、巫女として父と神事に加わっていましたが、むしろ手伝いをしたくないと伝えた時に、神父様が父の立場を慮って云われた事は、「貴女が結婚式やお葬式を司式しているのではないのですから・・・。むしろ、家のお掃除や来客を迎える為の準備と同じです」と云われ、神道では感じられなかったカトリックの愛の深さを感じました。このお言葉に、一番感銘を受けたのは父だったと思います。父は、そんな神父様の愛あるお言葉を受け、快く洗礼を許し、すすんで洗礼式に出席し祝ってくれました。

 神父様は自分を打ち出すのではなく人を受け入れ理解する、謙遜な精神で、「第二バチカン公会議」の“開かれた教会”を真に実現し、聖イグナチオの愛と感謝のうちに主に仕え、私達に関わって下さいました。父はカトリック信者になる為のあらゆる障害の盾となってくれました。この二人の父への恩返しは、私の家族の末代への信仰の伝承です。

 私は弱く小さな者です。何一つ誇れるものもない平凡な人間ですが、あの時に灯していただいた洗礼ローソクの火だけは、灯し続けて行きたいと思っています。受洗から四十数年の今日、信者である善き夫に出会い、二人の子供を授かり、二人の孫達(来年はもう一人増えます)にも恵まれ、この「信仰年」に再び、しっかりと信仰を伝えてまいりたいと願っています。

あなたを賛美し、あなたへ感謝する日々を過ごせています事を思いながら・・・。

(60代、女性)

(特集-家族と信仰 3 2013/1/7)

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