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5. 使徒聖パウロ(パウロの書簡)
新約聖書の十三の手紙に見出すことが出来るパウロの手紙の中心テーマは人間の救いです。
彼の手紙は、(彼の弟子が書いた物も含めて)自分が創立した諸教会、訪ねようと思うローマのキリスト教徒、或いは彼の協力者にあてられたものです。パウロはキリストとの関わりを、祈りの内にキリストの神秘に照らし合わせ、聖書や教会の伝承にも基づきながら答えを模索し、それらを具体的に生きた人です。宣教の方法についても同じです。パウロの手紙は、その生き方の具体例と言ってもいいでしょう。それぞれの教会への手紙は、当時の信者の問題、不安に対してのパウロの応え、キリスト的な一致について書かれています。
初期の頃の手紙として、二回目の旅行中に書かれたテサロニケの信徒への手紙、三回目の旅行中に書かれたガラテア、コリント、ローマの各信徒への手紙があります。
その後、パウロが捕らわれた後に書いた手紙が、エフェソ、コロサイ、フィリピの各信徒への手紙と、彼の親しい友人であったフィレモンへの手紙で、晩年に、彼の協力者であったテモテとテトスへ、彼らに託した教会を良く指導するよう、励ましの手紙を書いています。
ヘブライ人への手紙は長い勧告の手紙であり、信仰の素晴らしさが述べられていますが、どこで、誰のために書かれたかはよく分かっていません。
キリスト教を万民のための宗教へと方向づけ、その道を切り開いた人として最初に挙げられるのはパウロでしょう。彼の書簡を読む時、その人柄を感じる事が出来ます。
まず内面の大きな喜びと平和です。パウロは自分の多くの苦難を、満ちあふれる喜びと較べています。(二コリント1・3-6)獄中にあってもキリストによる喜びと信頼に満たされており、フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」とも言われています。パウロは生涯の間に少しずつ、失意の時にこそ、自分の内にもっと強い喜びが現れるという事を体験していきました。
次に感謝です。自分が関わった信徒達に、喜びを持って感謝するよう勧めています。(コロサイ1・12、一テサロニケ5・16-18))喜びと感謝を合わせるのはパウロの特徴です。
最後に賛美です。パウロの内には祝福というユダヤの伝統を引き継いだ素晴らしい賛美が見られます。
これらの手紙を通してパウロは、自分が創立した教会や、共に働いてきた仲間達を励まし、支え、導いてきました。そして同時に、現代の私達にも同じ慰めと励まし、支えを与えてくれます。
かつて教会を迫害し、キリストを敵と見なしていたパウロは、ダマスコで復活したキリストと出会ってから死に至るまでの働きの中で、キリストの福音を述べ伝えるための勤勉さと忍耐の、素晴らしい模範を示しました。パウロの視点はいつも、キリストにおいて示された神の望みに合っているか、キリストを否定するものではないかを探っていたと言えます。
イエスの生涯が、世間的には不名誉な死刑を受けながら栄光と勝利を現していたように、パウロの生涯も、苦難の中にあって、揺るぎない平和と喜びで満たされた輝かしいものだったと言えるでしょう。
パウロは自分の殉教を予感して「愛する我が子」に霊的遺言を書き送ります。それがパウロにとって最後の手紙となった「テモテへの第二の手紙」です。
古い伝承によると、パウロはローマ市民であったため十字架刑にかけられず、斬首の刑に処されました。斬首は市の外で行われるのが常でしたので、彼の死後、信者達がその遺体を運んで、約二マイル離れた、現在聖パウロ大聖堂が立っている場所に埋葬したと伝えられています。祭壇の上にある刻銘は彼自身の言葉で記されています。
「私にとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリピ1・21)
参考資料
『パウロの信仰告白』 カルロ・マルティーニ著 女子パウロ会
『パウロ』 ホルツネル著 エンデルレ書店
(特集-聖パウロ 5 2009/6/26