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12. 信仰の座標 父親の模範 Ⅴ

パウロ内堀作右衛門と三人の息子たち

 パウロ内堀作右衛門は、キリシタン大名有馬晴信に仕えた身分の高い武士で、妻アガタとの間にバルタザル、アントニオ、イグナチオと3人の息子を持つ熱心なキリシタン家族の父親、そして1627年2月28日、雲仙地獄で最初に殉教者した人たちの中心人物です。3人の息子たちは、父親に先立ちその一週間前に殉教しています。
 有馬晴信の死後、息子の有馬直純は信仰を捨てて迫害したため、パウロ内堀をはじめとするキリシタン家臣たちの多くは、武士の身分を捨て、信仰を生きるために百姓となることを選び、共同体リーダーとして信者を励まし支えました。
 後に島原の領主となった松倉重政による拷問は「悪魔が発明した」と言われる程のものでした。松倉重政は2月20日、信者37人をとらえ、裸にして町中を引き回した後に投獄し、その翌日にその中から内堀の3人の息子も含めた16人を選び死刑するよう命じます。
 処刑前、キリシタンは犬や豚と同じだからと、中指三本を切り落とすのにあたり、役人は、「子どもの指は何本切ろうか」と父親の内堀に問うと「それはあなたが決めることです」と答えています。最初に呼び出されたのは、次男のアントニオ、そして長男バルタザル、最後に一番年下の弟(5歳)イグナチオでした。切られたその指を「美しい赤いバラの花を見る人のように、自分の手を天に向けて見つめていました」と報告書に記されています。その後、16人以外の受刑者も見せしめに処刑を見届けさせようと別の船で有明海に共に連行されます。受刑者は、そこで首と足を縄で縛られ凍りつくような有明海の海中に繰り返し投げ込まれては引き上げられます。次男アントニオは、沈む間際に「お父さん、こんな大きな恵みを神に感謝しましょう」と叫び、遂に海中に深く沈められて殉教を遂げました。その時の光景について「パウロ内堀は、アブラハムに倣って3人のわが子を神に捧げた」と報告書にあります。
 再び陸に連れ戻された内堀を初めとする他の受刑者たちは、両手の指を三本ずつ切断、額に「切」「支」「丹」という文字を焼きつけられ、2月28日に牢獄から引き出されて雲仙地獄に向かいます。途中、彼らは祈りを唱え、聖歌を歌って進む中、内堀は、護送の役人にねぎらいの言葉さえかけています。雲仙に到着すると、硫黄のたぎる湯つぼに一人づつ投げ込まれ、最後に内堀は逆さ吊りにされ、何度も泥湯に落とされ、その度毎「ご聖体は讃えられますように」と唱えていました。そして遂に体に石を縛り付けて投げ捨てられます。「ご聖体は讃えられますように」これが内堀の最後の言葉でした。

参考資料
・キリシタン地図を歩く(ドン・ボスコ社)
・ペトロ岐部と一八七殉教者(列聖列福特別委員会 編)
・長崎大司教区 子どものための教会史「まるちねす」

(特集-日本の殉教者 12 2008/6/6)

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