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4. 原爆投下について―アルペ神父の記憶

 時計が止まった。天井やガラスの破片や梁がいまにも落ちて来そうであった。耳をつんざくような轟音がやんだ。私は床から身を起こし、目の前にまだ吊り下がっている時計を見たが、時計は動いてはいなかった。朝の8時10分であった。あの止まってしまった時計が私には象徴のように見えた。広島は私たちの心に突き刺さっている。時間とは関係がない。不動の永遠に属している。悲しい永遠!人間のあのような悲劇が絶えず存在するなんて!人間の?いやそうではない、非人間的な悲劇だ。何十万人の命が無差別に奪われたからというだけでなく、自分自身の技術を誇りたいための人間の自己破壊があり得るという前兆として、人類を脅かし続けているからである。時間はなんと多くのことを教えてくれることか!歴史は人生の先生である。しかしそれは歴史を解釈できるという条件においてである。広島の閃光は鮮明に残っている。人類にいつも突きつけられた剣のように。

(特集-アルペ神父 4 2006/6/23)

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